公序良俗と包括遺贈をわかりやすく — 不倫相手への遺言が有効とされた理由
妻子のある男性が、長年半同棲の関係にあった女性に「遺産の3分の1を遺す」という遺言を残して亡くなりました。不倫という、法が保護しないはずの関係。その相手への遺贈は、公序良俗(民法90条)に反して無効ではないのか——。最高裁は昭和61年11月20日の判決で、この遺言を有効としました。決め手になったのは、関係の是非そのものではなく、遺言の動機と内容でした。

事件の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第一小法廷 |
| 判決日 | 昭和61年(1986年)11月20日 |
| 事件番号 | 昭和61年(オ)第946号 |
| 事件名 | 遺言無効確認等請求事件 |
| 判例集 | 民集40巻7号1167頁 |
| 主文 | 上告棄却(裁判官全員一致・遺言は有効で確定) |
| 原審 | 東京高等裁判所 昭和61年2月27日判決(昭和59年(ネ)第3409号) |
| 参照法条 | 民法90条、民法964条 |
以下の事実は、すべて最高裁の判決文が原審の確定事実として列挙したものです。当事者は判決文の記号に沿って、遺言者を「夫」(判決文の亡D)、その妻(上告人A1)、子(上告人A2)、遺贈を受けた女性(被上告人)と表記します。
何が起きたのか
夫には妻がいましたが、遅くとも昭和44年ごろから亡くなるまでの約7年間、ある女性と、いわば半同棲のような形で不倫の関係を続けていました。昭和46年1月ころに一度関係を清算しようとする動きがありましたが、間もなく関係は復活し、その後も交際は続きました。
この関係は早い時期から夫の家族に公然となっていました。他方で、夫と妻の夫婦関係は、昭和40年ころからすでに別々に生活するなどその交流は希薄となり、夫婦としての実体はある程度失われていた——判決文はそう認定しています。
夫は、亡くなる約1年2か月前に遺言を作成しました。内容は、妻・子・女性の3人に、全遺産の3分の1ずつを遺贈するというものです。判決文は、当時の民法上の妻の法定相続分が3分の1であったこと、子はすでに嫁いで高校の講師などをしていたことも認定しています。そして、遺言の作成前後で夫と女性の親密さが特に増減したという事情はありませんでした。
夫の死後、妻と子がこの遺言の無効確認を求めて提訴します。理由は端的です——不倫相手への遺贈は、公序良俗に反するのではないか。
大前提 — 公序良俗(民法90条)と遺贈
民法90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」と定めます。契約に限らず、遺言による財産処分(遺贈)もこの適用を受けます。そして民法964条により、遺言者は包括または特定の名義で財産を処分できます。割合を示して財産を遺す形が「包括遺贈」です(本件の「3分の1」がこれにあたります)。
問題は、不倫という関係それ自体は法の保護に値しないのに、その相手への遺贈まで一律に無効とすべきかです。一律無効とすれば、遺言者に生計を頼っていた相手は、遺言者の死と同時に生活の基盤を失います。一律有効とすれば、財産で不倫関係をつなぎ留めることを法が追認しかねません。この間のどこに線を引くか——それが本件の主題です。
裁判所は何と言ったか
最高裁の判断の核心は、公式の裁判要旨に凝縮されています。
妻子のある男性がいわば半同棲の関係にある女性に対し遺産の三分の一を包括遺贈した場合であつても、右遺贈が、妻との婚姻の実体をある程度失つた状態のもとで右の関係が約六年間継続したのちに、不倫な関係の維持継続を目的とせず、専ら同女の生活を保全するためにされたものであり、当該遺言において相続人である妻子も遺産の各三分の一を取得するものとされていて、右遺贈により相続人の生活の基盤が脅かされるものとはいえないなど判示の事情があるときは、右遺贈は公序良俗に反するものとはいえない。
判決文の結論部分も、そのまま引用します。
本件遺言は不倫な関係の維持継続を目的とするものではなく、もつぱら生計を亡Dに頼つていた被上告人の生活を保全するためにされたものというべきであり、また、右遺言の内容が相続人らの生活の基盤を脅かすものとはいえないとして、本件遺言が民法九〇条に違反し無効であると解すべきではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。
整理すると、最高裁が見たのは次の2つの面です。
動機の面 — この遺贈は、不倫関係を維持・継続させるための対価だったのか。判決文は、①婚姻の実体がある程度失われた状態で関係が約6年続いた後に遺言が作られたこと、②遺言の作成前後で二人の親密さに特段の増減がなかったこと(=遺言が関係をつなぎ留める道具になっていないこと)から、関係の維持継続が目的ではなく、専ら生計を夫に頼っていた女性の生活を保全するためだったと評価しました。
内容の面 — この遺贈は、本来の相続人の生活を脅かすものだったのか。遺言は妻と子にも各3分の1を確保しており、妻の取り分は当時の法定相続分と同じです。相続人の生活の基盤が脅かされるものとはいえない、というのが判決の評価です。
この2つがそろって、遺贈は公序良俗に反しない=有効、という結論になりました。
この判例が決めたこと(意義)
重要なのは、この判決が「不倫相手への遺贈は有効」という一般ルールを立てたわけではないことです。公式の判示事項も「〜公序良俗に反しないとされた事例」であり、あくまで本件の事情のもとでの判断です。
それでも、この判決が示した判断の枠組みは以後の実務の到達点になりました。すなわち、不倫相手への遺贈の効力は、関係の存在そのものからは決まらず、①遺贈の動機(関係の維持継続が目的か、生活の保全が目的か)と、②遺言の内容(相続人の生活の基盤を脅かすか)の両面から判断する。逆にいえば、関係をつなぎ留めるための遺贈や、遺産のほとんどを不倫相手に渡して妻子の生活を危うくする遺贈であれば、同じ枠組みから無効の結論が導かれうるということです。
答案ではどう書くか
- 論点を立てる — 不倫関係にある者への包括遺贈は、公序良俗(民法90条)に反し無効か
- 規範 — 遺贈の効力は関係の存在自体からは決まらず、①動機(不倫関係の維持継続を目的とするか、専ら受遺者の生活保全を目的とするか)と、②内容(相続人の生活の基盤を脅かすか)の両面から判断する
- あてはめ① 動機 — 婚姻の実体がある程度失われた状態で関係が約6年継続した後の遺言であること、作成前後で親密度に特段の増減がないことを拾い、関係の対価ではなく生活保全目的と評価する
- あてはめ② 内容 — 妻子も各3分の1を取得し、妻の取り分は当時の法定相続分に相当することから、相続人の生活の基盤は脅かされないと評価する
- 結論 — 本件遺贈は公序良俗に反せず、有効である
「不倫だから無効」と一刀両断すると沈みます。関係の道徳的評価と、遺言という法律行為の効力評価を切り分け、動機と内容という判決の枠組みに事実を流し込むのが、この論点の書き方です。
動画で見る
「レイの法廷」の第8話が、この事件です。紙の遺言をめぐる家族の対立と、裁判所の線の引き方を、物語と答案の型の両方で解説しています。
- 講義版: 愛人に三分の一を遺した日 — 公序良俗のすべて(新しいタブで開く)
- ショート版: 不倫相手への遺言は有効か(新しいタブで開く)
- 各話の一覧: レイの法廷
同じく「紙の権利と暮らしの実態」が衝突した取得時効と登記の記事、権利の行使が「濫用」と評価される境界を扱った宇奈月温泉事件の記事もあわせてどうぞ。いずれも、条文の文言だけでは決まらない線を裁判所がどう引くか、という同じ問いの上にあります。
よくある質問
Q. この判決で「不倫相手への遺贈は有効」と決まったのですか?
いいえ。公式の判示事項も「公序良俗に反しないとされた事例」であり、本件の事情のもとでの判断です。動機が関係の維持継続にあったり、遺言の内容が相続人の生活の基盤を脅かすものであれば、同じ枠組みから無効と判断されることがありえます。
Q. 妻や子の取り分は守られたのですか?
本件の遺言は、妻と子にも遺産の各3分の1を確保する内容でした。判決文は、当時の民法上の妻の法定相続分が3分の1であったことを認定したうえで、この遺贈が「相続人の生活の基盤を脅かすものとはいえない」と評価しています。
Q. 「包括遺贈」とはなんですか?
財産を個別に特定せず、「全財産の3分の1」のように割合で示してする遺贈です(民法964条)。特定の不動産や預金を指定してする「特定遺贈」と対になる概念です。
Q. 審級で結論は割れたのですか?
いいえ。原審(東京高裁)が遺言を有効とし、最高裁は「原審の判断は、正当として是認することができる」として上告を棄却しました。裁判官全員一致の判断です。
本記事は、公開されている判決文にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。動画では当事者を仮名にし、判決文の事実を基に物語として再構成しています。
この判例を動画で見る
判例アニメ「レイの法廷」第8話「公序良俗と包括遺贈」。 事件の経過を物語で追い、答案の形まで通して話しています。
コメント
#レイの法廷#判例#民法#公序良俗