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判例読了 約11

作為義務の発生根拠 — 学説の見取り図と、判例が実際に挙げた事実

作為義務とは、結果が起きるのを防ぐために動かなければならない法的義務のことです。何もしなかったことが「人を殺した」と評価されるための、最初にして最大の関門にあたります。この義務がどこから生まれるのかをめぐって、学説は長く争ってきました。一方で判例の到達点ははっきりしています。最高裁判所は平成17年7月4日の決定(刑集59巻6号403頁)で、先行行為と引受けという2つの事実を挙げて作為義務を認めました。学説の名前は、一言も出していません。この記事では、学説の見取り図と、判例が実際に述べたことを、混ぜずに並べます。

作為義務の根拠挙げた事実は2つ — 先行行為と引受け、学説名は挙げていない

作為義務とは — 定義

作為義務とは、結果の発生を防ぐために行動しなければならない法的義務をいい、これを負う立場を保障人的地位(ほしょうにんてきちい)と呼びます。

条文のどこで問題になるのかを先に押さえます。刑法199条(殺人)は「人を殺した者は……」と、体を動かした形で書かれています。これに対して刑法218条(保護責任者遺棄等)は「その生存に必要な保護をしなかったとき」と、しないこと自体を正面から処罰の対象にしています。

問題は前者です。動きの形で書かれた199条を、何もしないことで実現できるのか。これを不真正不作為犯(ふしんせいふさくいはん)といい、作為義務はその成立要件の中心に置かれます。

なぜ争いになるのか

理由は1つに絞れます。199条が、主体を絞っていないからです。

条文は「人を殺した者」としか書いていません。文言だけを追えば、救えたのに救わなかった人は全員が候補に入ってしまいます。しかし居合わせた全員に救助を義務づければ、たまたまその場にいたというだけで誰もが殺人罪の入口に立たされ、社会が回りません。

つまり、条文に書かれていない主体の限定を、解釈で作らなければならない。その限定こそが作為義務です。どこに線を引くかを条文が教えてくれないので、学説が代わりに物差しを作ってきた——これが争いの正体です。

判例が積み上げたルール

以下は、裁判所の判例検索で公開されている裁判要旨にもとづきます。

裁判所・年月日事件示されたルール(裁判要旨)
最高裁判所第二小法廷 平成17年7月4日 決定(平成15年(あ)第1468号・殺人被告事件・刑集59巻6号403頁・通称シャクティパット事件)重篤な患者の親族から治療を依頼された者が、入院中の患者を病院から運び出させた事件「重篤な患者の親族から患者に対する『シャクティ治療』を依頼された者が,入院中の患者を病院から運び出させた上,未必的な殺意をもって,患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせないまま放置して死亡させたなど判示の事実関係の下では,不作為による殺人罪が成立する。」
最高裁判所第二小法廷 令和2年8月24日 決定(平成30年(あ)第728号・殺人被告事件・刑集74巻5号517頁)1型糖尿病の患者へのインスリン投与をさせなかった事件「被告人には,母親を道具として利用するとともに不保護の故意のある父親と共謀した未必の殺意に基づく殺人罪が成立する。」

平成17年決定について、義務の根拠を述べた部分を決定文のまま引きます。

被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。その際、被告人は、患者の重篤な状態を認識し、これを自らが救命できるとする根拠はなかったのであるから、直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。

つまり、最高裁が義務の土台として拾ったのは次の2つの事実です。

  • 先行行為 — 自分の責任で、患者の生命に具体的な危険を作り出したこと
  • 引受け — 信奉する親族から、重篤な患者の手当てを全面的にゆだねられた立場にあったこと

ここで大事なのは、決定が挙げたのは「事実」であって「説」ではないということです。裁判要旨も「判示の事実関係の下では」と断っており、この事件の事実を離れて一般命題を取り出せる書き方にはなっていません。判例のルールを述べるときは、この限定ごと引くのが安全です。

学説の見取り図

ここからは学説の整理に切り替わります。

立場義務の根拠帰結議論が残る点
形式的三分説①法令(親の監護義務など) ②契約・引受け ③条理・先行行為 という3つの形式形式にあてはまれば義務が生じ、あてはまらなければ生じない「形式だけでは実質を捉えきれない」と批判された。形式上の義務者が現場にいない場合などを説明しにくい
排他的支配説被害者の生命がその人の手の中にしかない状態、いわば生殺与奪を握っていること支配を握った者にだけ義務を認め、範囲を厳しく絞る「支配」があったかをどう測るかが、次の争点として残る
引受け説保護を現に引き受けたという事実自分から保護の関係に入った者に義務を認める引受けがいつ成立し、どこまで及ぶのかの線引きが必要になる
先行行為を重く見る立場自分で危険を作った者は自分で始末をつけるべきだという考え方危険を作出した者に義務を認める先行行為だけを決め手にすると、義務の範囲が広がりすぎないかが問われる

排他的支配説と引受け説は、形式的三分説への「形式だけでは足りない」という批判から生まれた実質的な絞り込みの系譜で、まとめて保障人説と呼ばれます。実務はこれらの事情を総合的に考慮して判断していると言われます。

以上は学説の整理であり、判例がどれかの説を採ったことを意味しません。

学説名ではなく発生根拠の名前が実際に使われている公的な文書もあります。平成30年司法試験の論文式試験について、法務省が公表した出題趣旨は、刑事系科目でこう書いています。

作為義務については,その発生根拠と内容を指摘・検討した上で,本問において,……先行行為や事実上の引受け,さらには,排他的支配や危険の創出等の発生根拠の充足性について論じる必要がある。 (平成30年司法試験 論文式試験出題の趣旨(新しいタブで開く))

説の名前を選んで旗を立てよ、とは書かれていません。先行行為・事実上の引受け・排他的支配・危険の創出という発生根拠が、事案の事実で埋まっているかを検討せよという形で問われています。学説の対立は、この検討で何を決め手にするかの違いとして現れる、と読むほうが実際的です。

結論が分かれる具体例

1. 先行行為も引受けも揃っている場合

平成17年決定の事案がこれにあたります。自分の指示で患者を病院から運び出させて危険を作り(先行行為)、ホテルで手当てを全面的にゆだねられ(引受け)、その部屋では患者の命が事実上その人の手の中にしかない(支配)。根拠がいくつも重なっているため、どの物差しを当てても義務は認められやすい事案です。逆に言えば、この事件は学説を選り分ける材料にはなりません。

2. 親子関係がある場合

平成30年司法試験の設例は、親子が登場します。出題趣旨によれば、甲が駐車場で倒れている父の乙を発見し、自ら声を掛けたことで意識を取り戻した乙が崖の近くまで歩いて転倒するのを見ていた、崖から約5メートル下は岩場で転落のおそれがあった、当時その駐車場は車や人の出入りがほとんどなく、乙が倒れた場所は草木に覆われて山道や駐車場からは見えなかった、という事案です。

ここでは形式的三分説なら親子という法令上の関係が入口になり、実質で絞る立場は、声を掛けたという関与(先行行為・事実上の引受け)と、人目につかない場所で甲しか状況を知らなかったこと(排他的支配)を評価することになります。出題趣旨は、親子関係を前提としたうえで、なおこれらの根拠の充足性を論じるよう求めています。形式だけで済ませない、という要求がここに表れています。

3. 無関係の第三者の場合

同じ出題趣旨によれば、設問3では、同じ場所で甲とは無関係の丁が負傷して倒れていた場合について、救助しなかった甲の不作為の理論構成が問われています。

この設定では、親族関係という形式的な入口が最初から使えません。形式的三分説は③の条理・先行行為に頼るしかなくなり、実質で絞る立場は、引受けや排他的支配の有無が正面から決め手になります。同じ場所・同じ「助けなかった」という不作為でも、被害者との関係が変わるだけで、どの根拠に重みを置くかが入れ替わる——学説の違いが結論の違いとして見えてくるのは、こちらの型の事案です。

なお、殺人罪にするか保護責任者遺棄等の罪にとどめるかも、ここに連動します。出題趣旨は両罪の区別の基準について、殺意の有無という主観面の要素と、重大な先行行為の有無や危険の程度といった客観面の要素を検討すべきだとしています。作為義務の議論は、罪名の選択と地続きです。

答案の型

作為義務の発生根拠の書き方
  1. 形式的な関係を先に確認する — 法令上の義務(親子・監護など)や契約があるかを最初に見る。あればそこを出発点にし、無ければ無いと書いてから次へ進む
  2. 先行行為を拾う — 誰が危険を作ったのか。被告人自身の行為が原因で危険が生じたと言えるかを、具体的な事実で示す
  3. 事実上の引受けを拾う — いつ、誰から、どこまでを引き受けたのか。「全面的にゆだねられた」と言える事実があるかを確かめる
  4. 排他的支配・危険の創出を検討する — 他に助けが入る余地があったか。場所・時間・人目の有無など、被害者の命がその人の手の中にしかなかったことを示す事実を拾う
  5. 作為の可能性・容易性を別に検討する — 義務があることと、実際にできたことは別問題。救急車を呼べば足りたのか、その場にいたのかを分けて書く
  6. 同価値性で締める — 以上を踏まえ、その不作為が作為で殺すのと構成要件的に同じ価値と評価できるかを述べて結論に至る

学説名を並べるだけの答案は伸びません。平成17年決定が短い文の中で先行行為と引受けの事実を具体的に列挙したように、義務を根拠づける事実を1つずつ拾うのが型です。どの説に立つかは、拾った事実のうち何を決め手にするかの説明として書けば足ります。

公表資料で確認できた出題実績としては、司法試験の論文式・平成30年(不作為による殺人未遂と保護責任者遺棄等の区別、作為義務の発生根拠)があります。

関連する判例

平成17年決定の事案・審級の動き・決定文の全体像は、シャクティパット事件の記事で扱っています。第一審と控訴審で罪の骨格そのものが描き替えられた事件で、殺意がいつ生まれたかという認定が動いただけで、作為を含む殺人が不作為の殺人に変わりました。作為義務の理論が正面に出てくる仕組みが分かります。

「そもそも助けなかっただけで罪になるのか」という入口の疑問には、見殺しは罪になるのかの記事で答えています。

この事件は「レイの法廷」でも扱っています。公開状況と各話の一覧はレイの法廷 — アニメで判例解説でご覧いただけます。

よくある質問

Q. 作為義務の発生根拠は、結局どの説で書けばよいのですか?

説の名前を選ぶことより、根拠となる事実を拾うことが先です。平成30年司法試験の出題趣旨も、先行行為・事実上の引受け・排他的支配・危険の創出といった発生根拠の充足性を、事案の事実に触れつつ論じるよう求めています。どの説に立つかは、拾った事実のうち何を決め手にするかの説明として書くのが実際的です。

Q. 最高裁はどの説に立っているのですか?

決定文に学説名は出てきません。平成17年7月4日決定は、自己の責めに帰すべき事由により生命に具体的な危険を生じさせたこと(先行行為)と、親族から手当てを全面的にゆだねられた立場にあったこと(引受け)という事実を挙げて義務を認めただけです。どの学説の影響がうかがわれるかは、学説の側の整理にとどまります。

Q. 形式的三分説はもう使わないのですか?

そのようなことはありません。法令や契約という形式的な関係は、義務を検討する入口として今も機能します。ただし「形式だけでは実質を捉えきれない」という批判が加えられ、実質で絞る学説が並んだという経緯があります。形式を確認したうえで、先行行為・引受け・支配といった実質の事実まで検討するのが手堅い進め方です。

Q. 先行行為があれば必ず作為義務が生じますか?

そうとは限りません。平成17年決定も、先行行為だけでなく、全面的にゆだねられた立場にあったことを併せて挙げ、そのうえで「判示の事実関係の下では」と限定しています。先行行為ひとつを決め手にすると義務の範囲が広がりすぎないか、という点は学説上も議論の対象です。

Q. 保護責任者遺棄致死罪と不作為の殺人罪は、どこで分かれますか?

平成30年司法試験の出題趣旨は、両罪の区別の基準について、殺意の有無という主観面による判断要素と、重大な先行行為の有無や危険の程度といった客観面による判断要素を検討すべきだとしています。作為義務が認められるかという議論と、どちらの罪名になるかという議論は、続きになっています。


本記事は、公開されている決定文および法務省が公表した出題趣旨にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。本文で紹介した司法試験の設例は試験問題上の仮設事案であり、登場人物は実在しません。動画では当事者・団体を仮名にし、決定文の事実を基に物語として再構成しています。

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#レイの法廷#判例#刑法#作為義務