空気注射事件をわかりやすく — 不能犯と殺人未遂の境界はどこか
致死量に遠く足りない量の空気を静脈に注射した行為でも、殺人未遂罪は成立します。最高裁判所第二小法廷は昭和37年3月23日の判決で、注射された空気の量が致死量以下であっても「被注射者の身体的条件その他の事情の如何によつては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえない」と述べ、不能犯だという主張を退けました(刑集16巻3号305頁)。論点は不能犯——殺そうとしたが、その方法ではおよそ殺せなかった行為を、法はどこまで「未遂」として罰するのか、という問題です。

事件の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第二小法廷 |
| 判断 | 昭和37年(1962年)3月23日 判決・上告棄却(裁判官全員一致) |
| 事件番号 | 昭和36年(あ)第2299号 |
| 事件名 | 殺人未遂 |
| 判例集 | 刑集16巻3号305頁 |
| 参照法条 | 刑法199条・203条 |
| 論点 | 不能犯(方法の不能) |
| 下級審 | 第1審 前橋地裁 昭和35年7月13日 / 原審 東京高裁 昭和36年7月18日 |
「空気注射事件」という通称は、殺害の手段が静脈への空気の注射だったことに由来します。血管に空気が入って血の流れが塞がれる状態を、医学では空気塞栓(くうきそくせん)といいます。判決文はこれを「空気栓塞」と表記しています。
何が起きたのか
被告人の男(ここでは田所と呼びます。以下、登場人物はすべて仮名です)は、姪の美代に掛けられた生命保険の保険金をだまし取ろうと考えました。そのためには、美代を事故死に見せかけて殺す必要がある——そう考えた田所は、美代の静脈に空気を注射して空気塞栓を起こさせる方法を選び、矢島ら数名と共謀します。
犯行当日、矢島は美代をだまして注射を承諾させ、両腕の静脈にそれぞれ1回ずつ、蒸留水5ccとともに空気を合計30〜40cc注射しました。しかし、美代は死にませんでした。田所は殺人未遂の共同正犯として起訴されます。
なお、最高裁の判決文そのものは上告の主張に答える形で書かれており、保険金や注射の量といった事実の細部は記していません。上に書いた事実関係は、下級審の認定を紹介した判例解説による整理です。
争点 — 致死量に足りない注射は、殺人未遂か、不能犯か
弁護人の主張は、次のようなものでした。空気塞栓で人を死なせるには、甲鑑定によれば300cc前後、乙鑑定によっても70cc以上の空気が必要である。ところが田所たちが注射したのは40cc以下にすぎない。これでは人を殺すことは絶対に不可能であり、殺人未遂罪は成立しない——つまり不能犯だ、という主張です。
数字だけを見れば、たしかに筋が通っています。300や70に対して40以下では、桁が違うとまでは言わないにせよ、明らかに足りていません。
不能犯とは、外から見れば犯罪の実行が始まったように見えるのに、その行為には結果が起きる危険がおよそ無く、未遂罪すら成立しない場合をいいます。最高裁昭和25年8月31日の判決は、これを「犯罪行為の性質上結果発生の危険を絶対に不能ならしめるもの」と定義したと理解されています(この判決の原文は確認できていないため、ここでは引用ではなく紹介にとどめます)。
なぜそんな区別が必要なのか。出発点は、未遂を罰する理由にあります。
- 刑法43条本文「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。」
- 刑法199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。」
- 刑法203条「第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。」
結果は起きていないのに罰するのは、その行為に結果が起きる危険があったからだ——刑法の主流の説明はこうです。ならば逆に、危険がまったく無い行為は罰する理由も無い。それが不能犯です。
最高裁は何と言ったか
最高裁は上告を棄却し、不能犯の主張について次のように述べました。歴史的仮名遣いも含め、判決文のままです。
所論は、人体に空気を注射し、いわゆる空気栓塞による殺人は絶対に不可能であるというが、原判決並びにその是認する第一審判決は、本件のように静脈内に注射された空気の量が致死量以下であつても被注射者の身体的条件その他の事情の如何によつては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないと判示しており、右判断は、原判示挙示の各鑑定書に照らし肯認するに十分である
つまり、「この量では誰も死なない」とまでは言えない、ということです。健康な人なら死ななかったかもしれない。しかし、心臓や肺や脳に病気のある人であれば、平均的な致死量に届かない量でも死ぬことはあり得る。その可能性が残る以上、危険が「絶対に無い」とは言えない——最高裁はそう判断しました。
裁判所が示した要旨は、さらに短く一行です。
殺人の目的で静脈内に空気を注射したときは、右空気の量が致死量以下であつても、右行為は不能犯とはいえない。
第1審(前橋地裁)も原審(東京高裁)も、殺人未遂罪の成立を認めていました。第1審が拠り所にしたのは、弁護人が引用したのと同じ鑑定書です。そこには、被害者の体質・健康状態・注射の方法によっては平均的な致死量より少ない量でも死亡し得る、という趣旨の記載もありました(下級審の判決文は公表資料で確認できていないため、内容は判例解説による要約です)。
「殺せない」には二つの型がある
この線引きには、古くからの対になる裁判例があります。大審院大正6年9月10日の判決は、病床の夫を殺そうとして硫黄の粉末を汁や水薬に混ぜて飲ませた事件で、硫黄には人を死なせる毒性が無いことを理由に殺人未遂を認めず、傷害罪の成立にとどめたと紹介されています。他方、大審院大正8年10月28日の判決は、殺鼠剤の量が致死量に足りなかった事件で、殺人未遂を認めたとされます。
「人を殺せない物」を使えば不能犯、「人を殺せる物」を使ったが量が足りなかっただけなら未遂。 空気注射事件は、後者の側に置かれた判断だと読めます。学説はこの古い線引きを「絶対的不能・相対的不能説」と呼んで整理しています。
ところが、この線引きだけでは説明しにくい事件があります。方法ではなく、相手がいない場合です。学説は前者を「方法の不能」、後者を「客体の不能」と呼び分けています。
客体の不能 — 刺した相手は、すでに死んでいた
昭和33年12月24日の夜、山口県防府市。組の首領だった蔵田(仮名)は、口論の末に坂上(仮名)から拳銃で撃たれます。逃げる蔵田を坂上は追い、約30メートル離れた歯科医院の前で第2弾・第3弾を発射しました。
そこへ、銃声を聞いた同じ組の有村(仮名)が、玄関の下駄箱の裏にあった刃渡り約60センチの日本刀を持って駆けつけます。有村は、倒れている蔵田がまだ生きていると信じ、殺意をもってその腹や胸を突き刺しました。
しかし鑑定は割れました。数分から十数分は生きているはずだから刺し傷は生前のものだ、とする鑑定と、刺し傷に生活反応が認められないから刺された時点で医学的にはすでに死亡していた、とする鑑定です。広島高等裁判所は後者を採用しました(広島高裁 昭和36年7月10日判決・昭和34年(う)第294号・高刑集14巻5号310頁)。
弁護人は、死体を傷つけたにすぎないから殺人罪は成立せず、死体損壊罪にとどまると主張します。科学の目で見れば、死体はもう死なない。ならば「絶対に不能」ではないか、という理屈です。
広島高裁は、こう判示しました。
一般人も亦当時その死亡を知り得なかつたであろうこと、従つて又被告人Aの前記のような加害行為によりCが死亡するであろうとの危険を感ずるであろうことはいづれも極めて当然というべく、かかる場合において被告人Aの加害行為の寸前にCが死亡していたとしても、それは意外の障害により予期の結果を生ぜしめ得なかつたに止り、行為の性質上結果発生の危険がないとは云えないから、同被告人の所為は殺人の不能犯と解すべきでなく、その未遂罪を以て論ずるのが相当である
つまり、専門家でさえ生死の判定が割れるほど微妙な場面では、普通の人が見ても「まだ生きている」と思う。その状況で人を殺すに足りる行為をした以上、たまたま直前に死んでいたことは予定外の障害にすぎない、ということです。裁判所は破棄自判し、拳銃を撃った坂上には殺人罪(懲役15年)、日本刀で刺した有村には殺人未遂罪(懲役3年)を認めました。
なお、「殺人未遂でないなら死体損壊罪だ」という主張も通りません。殺人と死体損壊とでは守ろうとしている利益がまったく違うため、殺すつもりで死体を傷つけても死体損壊の故意は認められない、というのが学説の整理です。死体をめぐる刑法の扱いは死者の占有の記事でも触れています。
無害なガスでも未遂になった事件
もう一つ、昭和62年10月15日の岐阜地方裁判所の判決があります。嫌がらせに悩み将来を悲観した母親が、幼い娘2人を寝かしつけたうえでガスコンロのゴムホースを引き抜き、玄関や戸の隙間を目張りして都市ガスを室内に充満させた事件です。娘たちは訪ねてきた友人に発見され、助かりました。
弁護人の主張は、この都市ガスは天然ガスであって一酸化炭素を含まず人体に無害だから不能犯だ、というものでした。岐阜地裁は、①ガス濃度が一定の範囲(4.7〜13.5パーセント)にあれば冷蔵庫の静電気などを引火源として爆発が起きる可能性があり、濃度がさらに上がれば酸素欠乏で窒息死に至ること、②発見した友人も家主もガス自殺だと受け取っており、一般の人はそれを人を死なせるに足りる極めて危険な行為と認識していること、を理由に殺人未遂罪の成立を認め、懲役2年6月・保護観察付執行猶予4年を言い渡した、と紹介されています。この判決は裁判所の公式判例データベースに未収録のため、以上は判例解説による要約であり、判決文の引用ではありません。
四つの事件を並べると、線がどこに引かれているかが見えます。
| 事件 | 「殺せなかった」理由 | 結論 |
|---|---|---|
| 硫黄を飲ませた事件(大審院 大正6年9月10日) | 硫黄には人を死なせる毒性が無い | 殺人未遂を否定(傷害罪) |
| 殺鼠剤の事件(大審院 大正8年10月28日) | 毒物ではあるが量が致死量に足りない | 殺人未遂 |
| 空気注射事件(最高裁 昭和37年3月23日) | 注射した空気の量が致死量に足りない | 殺人未遂 |
| 日本刀の事件(広島高裁 昭和36年7月10日) | 刺す寸前に相手が死亡していた | 殺人未遂 |
| 都市ガス事件(岐阜地裁 昭和62年10月15日) | ガスに一酸化炭素が含まれず中毒死しない | 殺人未遂 |
学説はどう整理しているか
危険の有無を誰の目で、どの事実を土台に判断するのか。学説はここで大きく分かれます。
具体的危険説は、行為の時点で一般人が認識し得た事情と、行為者が特に認識していた事情を土台に置き、一般人の目から見て結果発生の危険があったかで判断します(刑法学では通説とされます)。客観的危険説は、裁判の時点で判明した全事情を土台に、科学的な知識で判断します。同じ日本刀の事件でも、前者からは「普通の人には生きて見えた」から未遂、後者からは「科学的には死体」だから不能犯、と答えが割れ得ます。
もっとも、客観的危険説を徹底すると、未遂に終わった事件には必ず終わった理由があるのだから、あらゆる未遂が「結果は起きるはずがなかった」ことになってしまいます。そこで現在は、結果が発生しなかった原因を事後的・科学的に明らかにしたうえで、結果を発生させる事実がどの程度存在し得たかを問う修正された客観的危険説が有力とされています。
ここで大事な注意を一つ。判決文には、これらの説の名前はどこにも書かれていません。 最高裁が述べたのは「危険が絶対にないとはいえない」という言葉だけであり、広島高裁が述べたのは「一般人も亦当時その死亡を知り得なかつたであろう」という言葉だけです。「最高裁が具体的危険説を採用した」という言い方は、判決文の記述ではなく、学説による位置づけです。以上はあくまで学説の整理であって、判例がどれかの説を採ったことを意味しません。
答案ではどう書くか
不能犯は、司法試験・予備試験で問われ続けている論点です(出題年度は本記事では確認できていないため、具体的な年度は挙げません)。空気注射事件を素材にすると、答案の骨格は次のようになります。
- 設問の特定 — 「田所が、矢島らと共謀して美代の静脈に空気を注射させた行為に、殺人未遂罪(刑法199条・203条)が成立するか」を一文で立てる。
- 条文で枠を立てる — 43条本文の「実行に着手」「これを遂げなかった」の二つが要件。実行の着手とは、結果発生の現実的危険を有する行為を開始することをいう。
- 原則 — 殺意をもって静脈に空気を注射し、相手は死ななかった。原則として殺人の実行に着手してこれを遂げなかった場合にあたる。
- 本件の特殊性 — もっとも本件では、注射された空気の量が致死量に遠く及ばず、この方法では殺せなかったと主張されている。
- 問題提起 — 用いた方法によっては結果が発生し得なかった場合にも、なお未遂犯が成立するか。不能犯との区別が問題となる。
- 規範(趣旨から立てる) — 未遂を罰する理由は行為に結果発生の危険が生じた点にある。そこで、行為時に一般人が認識し得た事情と行為者が特に認識していた事情を土台に、一般人を基準として結果発生の現実的危険があったかで判断する。
- あてはめ(要素ごとに) — ①土台となる事情:一般人は静脈への空気の注射で人が死に得ることを認識でき、行為者は殺害目的で注射している。②危険の判断:鑑定によれば被注射者の体質・健康状態によっては致死量以下でも死亡し得る。よって現実的危険があった。
- 残りの柱と結論 — 故意(殺意)あり、違法性・責任を打ち消す事情なし。よって殺人未遂罪の共同正犯が成立する。方法の性質上およそ結果を生じ得ない場合(硫黄の事案)は不能犯として殺人未遂を否定し、傷害罪などの成否を別に検討する。
書き方の注意として、判例の言葉をそのまま規範に使わないことが挙げられます。最高裁は「危険が絶対にないとはいえない」と述べただけで、答案で使えるような一般的な判断枠組みは示していません。学説の整理で規範を立て、そこに判例の事案をあてはめる、という層の違いを意識してください。実行の着手そのものの線引きはクロロホルム事件の記事で、着手の考え方全体は未遂と既遂の分かれ目で扱っています。
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この事件は「レイの法廷」で、事件のドラマから判決文の読み解き、答案の書き方までを通しで解説する回として制作しています。公開済みの回の一覧はレイの法廷からご覧いただけます。
よくある質問
Q. 不能犯と未遂犯は何が違うのですか
未遂犯は、実行に着手したが結果が発生しなかった場合で、刑は減軽され得ますが処罰されます。不能犯は、その行為にそもそも結果発生の危険が無いため、未遂犯としても処罰されない場合です。両者を分けるのが「危険があったといえるか」という判断です。
Q. 空気を注射すると本当に人は死ぬのですか
本件の鑑定では、空気塞栓で人を死なせるには300cc前後、少なくとも70cc以上が必要とされました。ただし同じ鑑定書には、被注射者の体質や健康状態によっては平均的な致死量より少ない量でも死亡し得る、という趣旨の記載もあり、最高裁はこの点を重く見ています。医学的な一般論としてここで断定することはできません。
Q. 相手がすでに死んでいた場合でも殺人未遂になるのですか
広島高裁昭和36年7月10日の判決は、専門家の間でも生死の判定が割れるほど微妙な状況で、一般人にも死亡が分からなかった事案について、殺人未遂罪を認めました。ただしこれは一つの高裁判決であり、あらゆる「死体への攻撃」が未遂になるという意味ではありません。
Q. 判例は具体的危険説を採用したのですか
判決文に説の名前は書かれていません。空気注射事件の判決は伝統的な絶対的不能・相対的不能説を踏襲したものと理解され、広島高裁・岐阜地裁の判断は具体的危険説に近いと評価されることがありますが、いずれも学説による位置づけです。答案でも「判例が◯◯説に立つ」という書き方は避けるのが無難です。
Q. 途中でやめた場合はどうなりますか
刑法43条ただし書は「自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する」と定めています(中止犯)。これは危険の有無を問う不能犯とは別の制度で、自分の意思でやめたかどうかが問われます。
本記事は判決文・裁判所の公表資料および判例解説に基づく一般的な解説であり、個別の事案についての法的助言ではありません。登場人物の名前はすべて仮名です。
出典: 最高裁判所第二小法廷判決 昭和37年3月23日(刑集16巻3号305頁)/ 広島高等裁判所判決 昭和36年7月10日(高刑集14巻5号310頁)/ 岐阜地方裁判所判決 昭和62年10月15日(公式判例データベース未収録)/ 刑法43条・199条・203条(e-Gov法令検索)
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