未遂と既遂の分かれ目 ― 実行の着手はどこに線を引くのか
計画を立てて動き出した人が、まだ結果を起こしていない段階で取り押さえられたら、罪に問われるのでしょうか。

結論から言うと、この場面で最初に効いてくる線は「既遂か未遂か」ではありません。実行の着手があったかどうかです。実行の着手より前は、原則として罪に問われない「予備」の段階にとどまります。実行の着手があった後に結果が生じなければ「未遂」、結果が生じれば「既遂」になります。つまり、罰せられるかどうかを最初に決めるのは既遂と未遂の間の線ではなく、予備と未遂の間に引かれる実行の着手という線です。
結論 ― 「予備(不可罰)→実行の着手→未遂(可罰)→結果発生→既遂」の順で考える
刑法43条本文はこう定めています。
犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。
未遂として扱われる前提は「犯罪の実行に着手」していることです。逆に言えば、実行に着手する前の段階(道具をそろえる、下見をするなど)は、原則として不可罰です。一部の重大な犯罪には、この着手前の段階を独立に罰する規定が別途置かれていますが、それは例外であって原則ではありません。答案でこの分野の事案を扱うときは、まず「実行の着手があったか」を確定してから、「結果が生じたか」を確認する、という2段階で考える必要があります。
「着手」の位置づけが争われた事件 ― クロロホルム事件
この「着手はどこか」が正面から争われたのが、最一小決平成16年3月22日(刑集58巻3号187頁)です。
事案はこうです。被告人の一人(妻)は、夫を事故死に見せかけて殺害し、生命保険金をだまし取ろうと考え、別の被告人(請負人)に殺害の実行を依頼しました。請負人は報酬目当てで引き受け、実行犯3名を集めます。計画は、示談交渉を装って夫を車に誘い込み、クロロホルムを染み込ませたタオルで失神させたうえ、車ごと海に転落させて溺死したように見せかける、というものでした。
実行犯3名は計画どおり、タオルを夫の鼻口部に押し当てて失神させました(これを第1行為と呼びます)。その後、車で約2キロ離れた港まで運び、約2時間後に車ごと海中に転落させました(第2行為)。死因は、水を吸ったことによる窒息か、クロロホルムの影響による呼吸停止かのいずれかで、判決文上も特定できていません。つまり、第1行為の時点ですでに死亡していた可能性があります。しかも実行犯3名は、第1行為自体で夫が死ぬ可能性があるとは認識していませんでした。あくまで「失神させたあと、海に沈めて殺す」計画だったからです。
ここで問題になったのが、殺人罪の実行の着手はいつあったかです。まだ「殺すつもりの行為」である第2行為(海への転落)に至っていない第1行為(失神させる行為)の段階で、すでに殺人罪の実行に着手していたと言えるのでしょうか。最高裁は、次のように判断しました。
第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること、第1行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや、第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと、第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である
平易に言い換えると、「失神させる行為(第1行為)は、その後の殺害行為(第2行為)を確実かつ容易にするために欠かせないものであり、計画どおりに進めば邪魔が入る事情もなく、失神させた場所から沈める場所も近かった。この事情からすれば、失神させ始めた時点で、すでに殺人に至る現実の危険が生じていたと言える」という判断です。「殺すつもりの行為」そのものに至っていなくても、それに密接な行為で、かつその時点で殺害に至る客観的な危険性が認められれば、実行の着手が認められる、という枠組みです。
実行の着手をどう判断するか
最高裁が示した枠組みを、答案で使える形に分けると次のとおりです。
- 犯行計画を確認する ― 行為者がどういう手順で結果を実現しようとしていたかを把握する
- 問題の行為が、結果発生に直結する行為とどれだけ「密接」かを見る ― その行為なしに計画を進められるか、後の行為を確実・容易にするために欠かせないかを確認する
- 計画の進行を妨げる特段の事情がないかを確認する ― 成功すればそのまま結果に至る見込みが高いかを見る
- 時間的・場所的な近接性を確認する ― 問題の行為から結果発生までの間隔が短いかを見る
- 以上を総合して、その時点で結果発生に至る客観的な危険性が認められるかを判定する
この事件のように、行為者が複数の段階(第1行為・第2行為)に分けて計画していた場合、狭い意味での「殺す行為」そのものが始まっていなくても、密接性と危険性が認められれば着手は前倒しで認められます。逆に、途中で被害者が逃げ出せる可能性が十分にあるなど、計画どおりに進む保証がない事案では、同じ判断枠組みでも着手が否定される方向に傾きます。
なお、着手の判断基準そのものについては、危険性を軸に据える見方が現在の多数の理解ですが、実行の着手を「犯行計画がどこまで進んだか」という進捗度で捉え直すべきだとする見方も学説上示されています。この決定自体は密接性と客観的危険性という枠組みで結論を出しており、進捗度をどう位置づけるかは、この決定を離れた学説上の議論であることは区別して理解しておく必要があります。
受験生向けの一言
答案では、いきなり「未遂罪が成立する」と書き始めず、先に「実行の着手が認められるか」を独立の論点として立てましょう。着手を認定してから初めて、未遂か既遂かの判定に進めます。行為が複数の段階に分かれている事案では、密接性(後の行為を確実・容易にするために欠かせないか)と客観的危険性(その時点で結果発生の現実的な危険が生じているか)の両方を、計画の内容・障害の有無・時間的場所的近接性という具体的事実に落として書くと、判断枠組みが採点者に伝わります。
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この決定を題材にした回は、「レイの法廷」の制作ラインナップに入っています。公開状況を含む各話の一覧はレイの法廷でご覧いただけます。規範の立て方そのものを扱った回として「規範を立てる」とは何をすることか、の記事も、あわせて読むと理解が深まります。
よくある質問
Q. 実行の着手前の段階(予備)は、絶対に罪に問われませんか?
原則として不可罰です。ただし、一部の重大な犯罪には、着手前の準備段階そのものを独立に罰する規定が別途置かれています。どの犯罪にそうした規定があるかは犯罪ごとに異なるため、個別に確認が必要です。
Q. クロロホルム事件で、実行の着手が認められたのはなぜですか?
失神させる行為(第1行為)が、その後の殺害行為(第2行為)を確実かつ容易にするために欠かせないものであり、計画の進行を妨げる事情もなく、失神させた場所と沈める場所も時間的・場所的に近かったためです。これらの事情から、失神させ始めた時点ですでに殺害に至る客観的な危険性が認められると判断されました。
Q. 「殺すつもりの行為」そのものが始まっていなくても、実行の着手は認められますか?
認められる場合があります。クロロホルム事件では、狭い意味での殺害行為(車を海に転落させる第2行為)より前の、失神させる行為(第1行為)の段階で着手が認められました。後の行為に密接で、かつその時点で結果発生の客観的な危険性が認められることが条件です。
Q. 実行の着手と既遂は、どう違う話ですか?
実行の着手は、罪に問われるかどうか(予備にとどまるか、未遂として処罰されるか)を決める線です。既遂は、実行の着手が認められたうえで、さらに結果が実際に生じたかどうかを決める、別の線です。両者は連続していますが、判定する事柄が異なります。
本記事は、公開されている決定文にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。
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