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判例読了 約12

権利濫用の論証 — 民法1条3項で、答案に何をどう書くか

権利の濫用とは、形のうえでは権利の行使にあたる行為が、権利として許される範囲を超えているために法の保護を受けないことをいいます。民法1条3項は「権利の濫用は、これを許さない」とだけ定め、何をもって濫用とするかを書いていません。それでも判例の到達点ははっきりしています。大審院は昭和10年10月5日の判決(宇奈月温泉事件)で、侵害による損失の軽微さ・除去に要する費用の大きさ・不当な利益を得ようとする目的という事実を並べて、撤去請求を濫用と判断しました。この記事は、その枠組みを答案の形に組み直し、隣に立つ信義則との切り分けまで通します。

権利濫用は答案でこう書く — 民法1条3項の論証を判例で組み立てる

権利の濫用とは — 定義

権利の濫用とは、外形上は権利の行使であっても、社会通念に照らして権利の目的に反し、権利として許される範囲を超えているために、法の保護を受けない行為をいいます。

根拠となる条文は民法1条です。e-Gov 法令検索で確認できる条文は次のとおりです。

第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。 2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。 3 権利の濫用は、これを許さない。

(e-Gov 法令検索 民法(新しいタブで開く))

3項が権利濫用、2項が信義則(しんぎそく。相手の信頼を裏切らないように振る舞えという原則)です。この2つが同じ条文に並んでいることが、あとで効いてきます。

なぜ争いになるのか

理由は1つに絞れます。3項が「濫用」の中身を何も書いていないからです。

条文にあるのは「許さない」という結論だけで、どんな事実があれば濫用になるのかは一言も書かれていません。しかも権利の行使は本来自由です。自由なはずの行為に線を引くのに、条文が物差しをくれない。

そのため、物差しは判例と学説が作るしかなく、答案では「規範をどう立てるか」がそのまま点差になります。「権利濫用にあたり許されない」と結論だけ書いても、それは条文をなぞっただけです。

信義則と権利濫用は、どこで分かれるか

この切り分けは、実際に試験で問われています。平成20年新司法試験の短答式試験(民事系科目)第1問は、こう始まります。

信義誠実の原則又は権利濫用禁止の原則に関する次のアからオまでの各記述のうち,権利濫用禁止の原則について述べているものを組み合わせたものは,後記1から5までのうちどれか。

記述は5つです。原文どおり引きます。

ア.国は,公務員に対して,その生命及び健康等を危険から保護するように配慮すべき義務を負う。 イ.解除権を有する者が長期にわたりこれを行使せず,相手方においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由を有するに至ったという特段の事情がある場合には,解除権の行使は許されない。 ウ.動産売買における引渡場所について,買主が売主に問い合わせをすれば知ることが容易であった場合には,問い合わせを怠った買主は,遅滞の責任を免れない。 エ.妨害により所有権が侵害されても,生じた損失が軽微であり,妨害を除去することが著しく困難で,多大の費用を要する場合には,不当な利益を獲得する目的で妨害の除去を求めることは許されない。 オ.権利の行使であっても,社会観念上被害者が認容しなければならない程度を超える場合には,不法行為が成立する。

法務省が公表した正解及び配点によると、この問題(No.1)の正解は「5.エ オ」、配点は2点です(問題PDF(新しいタブで開く) / 正解及び配点PDF(新しいタブで開く))。

権利濫用の側に振り分けられたのがエとオ、信義則の側がア・イ・ウです。5つを並べると、境目が見えます。

  • ア・イ・ウは、すでに関係のある相手との間の話です。国と公務員、解除権者と相手方、売主と買主。つながっている当事者の間で、条文に書かれていない配慮や義務が生まれています
  • エ・オは、権利を振り上げた場面そのものの話です。妨害排除請求という権利行使が通らない(エ)、権利行使なのに不法行為になる(オ)

つまり、信義則は関係のある相手との間で義務を「足す」方向に、権利濫用は行使しようとしている権利を「止める」方向に働いている。答案で迷ったら、まず「すでに相手と関係があるか」を見るのが実際的です。なお記述エは、次に見る大審院判決の判断枠組みが、ほぼそのまま文章になったものです。

判例が積み上げたルール

裁判所・年月日事件示されたこと
大審院 昭和10年10月5日 判決(昭和9年(オ)第2644号 妨害排除請求事件・大審院民事判例集14巻1965頁・通称 宇奈月温泉事件)全長約7.5キロメートルの引湯管が、約2坪だけ他人の荒れ地を無断で通っていた。それを知ったうえで土地を買った者が撤去を求めた撤去請求は「所有権の行使たる外形を構うるに止まり」、権利の濫用にあたるとして退けられた
最高裁 昭和40年(通称 板付基地事件)米軍基地として使われている土地の返還を、所有者が求めた双方の利益の比較を理由に、返還請求を権利の濫用とした

板付基地事件については、執筆時点で裁判所の判例検索(courts.go.jp)の該当ページを開けなかったため、裁判年月日と判例集の巻号頁は書きません。上の記述は、第1話の脚本(制作時の確定稿)で確認できた範囲にとどめています。

宇奈月温泉事件の判決文から、結論部分を引きます。

該除去ノ請求ハ単ニ所有権ノ行使タル外形ヲ構フルニ止マリ真ニ権利ヲ救済セムトスルニアラス

つまり、その撤去請求は所有権を行使しているという形をととのえているだけで、本当に権利を救おうとしているのではない、ということです。続けて、

社会観念上所有権ノ目的ニ違背シ其ノ権能トシテ許サルヘキ範囲ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ外ナラス

——社会の常識に照らして所有権の目的に反し、所有権の働きとして許される範囲を超えている。これは権利の濫用にほかならない、と述べています。

大審院がこの結論に至るまでに並べたのは、次の事実です。

  • 侵害による損失が「云うに足らず」といえる程度であること
  • 除去には莫大な費用がかかること
  • 第三者がその事実を「奇貨」として、別段の必要もなく物件を買収したこと
  • そのうえで不相当に巨額な代金での買取りを要求し、ほかの一切の協調に応じないと主張したこと

前の2つが客観面(双方の利益の比較)、あとの2つが主観面(不当な利益を得ようとする目的)です。判決は片方だけで結論を出していません。この二段構えが、そのまま答案の規範になります。事案の全体像と審級の動きは、宇奈月温泉事件の記事で扱っています。

なお1条3項が置かれたのは、判決の12年あとの昭和22年の民法改正です。判例が先に作った枠組みを、条文があとから追認したという順序なので、答案で1条3項を引くときは、中身を判例から補うことになります。

学説の見取り図

ここからは学説の整理に切り替わります。

立場濫用と判断する根拠帰結議論が残る点
主観説(害意を重く見る)相手を害する意図があること。ドイツ民法226条の「他人を害することだけを目的とする権利行使は許されない」(シカーネの禁止)がこの型濫用が認められる範囲が狭くなり、権利行使の自由が守られる害意は内心の事情なので、証明が難しい。害意がなくても著しく不当な行使を拾えない
客観説(利益の比較を軸にする)権利者が得る利益と相手が受ける不利益が、著しく釣り合わないこと。スイス民法2条2項の「権利の明白な濫用は、法の保護を受けない」がこの型内心を問わずに判断でき、適用範囲が広がる広く使えるぶん、正当な権利まで比較衡量で押さえ込めてしまう
主観・客観を総合する立場利益の比較(客観面)と、害意・不当な目的(主観面)の両方宇奈月温泉事件の判決文の構造と対応するどちらをどれだけ重く見るかの配分が、事案ごとに残る

学説は、害意を重んじる立場から、利益の比較を軸にする立場へと進んできたと整理されます。そのうえで歯止めとして主観的要件に戻る議論があり、フランスの伝統的な判例は害意を重視し、日本でも、宇奈月温泉事件のような型の事案では加害の意図が必要だと見る立場が有力とされています。戦後の判例群を、賠償を導く不法行為的機能・新しいルールを生み出す規範創造的機能・対立を強引にまとめる強制調停的機能の3つに分ける整理もあります。

以上は学説の整理であり、判例がどれかの説を採ったことを意味しません。判決文に学説の名前は出てきません。

結論が分かれる具体例

平成20年短答式の記述エは、3つの要素で組み立てられていました。①損失が軽微であること、②除去が著しく困難で多大の費用を要すること、③不当な利益を獲得する目的があること。この3つが揃っているかどうかで、結論が動きます。

1. 3つとも揃っている場合 — 宇奈月温泉事件の型

損失は2坪ぶんで「云うに足らず」、迂回工事には莫大な費用と日数、そして買収の目的は不相当に巨額な代金の獲得。どの物差しを当てても濫用になる事案です。逆に言えば、この事件は学説を選り分ける材料にはなりません。

2. ③が薄い場合 — 板付基地事件が批判された理由

板付基地事件で最高裁が挙げたのは、双方の利益の比較でした。土地を返してほしい所有者個人の利益と、基地を動かす側の莫大な損失を天秤にかけ、後者を取っています。相手を害する目的で権利を買い集めた、というような主観面はここにありません。

宇奈月では弱い立場を守る盾だった理屈が、板付では個人の権利を押さえ込む側に回った。学説から「権利濫用の濫用」という批判が向けられたのは、この点です。主観説を厳格に取れば、この事案は濫用になりません。客観説の弱点が、そのまま現れた例といえます。

3. ①や②が欠ける場合

損失が軽微といえない、あるいは除去に大した費用がかからない——このどちらかなら、記述エの射程から外れ、原則どおり権利行使が通ります。

答案のあてはめが薄くなりがちなのはここです。「損失が軽微である」と一言で済ませると、比較の相手方(除去にかかる費用)が出てこないので、天秤が傾いていることを示せません。軽微かどうかは、除去の負担と並べて初めて言えます。

答案の型

権利濫用を論じる順序
  1. 個別の条文・ルールを先に検討する — いきなり1条3項から始めない。個別の規定で解決できるならそちらが先で、それでも不当な結論になるときにだけ一般条項へ進む
  2. 問題提起 — 「本件で、◯◯にもとづく請求は認められるか」。止めたい権利行使を1つに特定する
  3. 原則の確認 — その権利がある以上、行使が認められるのが原則だと一度書く。原則を書かずに例外だけ書くと、なぜ例外が要るのかが伝わらない
  4. 規範 — 権利の濫用は許されない(民法1条3項)。濫用にあたるかは、双方の利益の客観的な比較衡量と、害意や不当な目的といった主観的事情を総合して判断する
  5. あてはめ(客観面) — 権利者が得る利益と、相手が受ける不利益を並べる。金額・期間・面積など、問題文の数字をそのまま使う
  6. あてはめ(主観面) — いつ、何を知って、何のために権利を取得・行使したのか。不当な利益の獲得目的を示す事実を拾う
  7. 結論 — 請求は認められない。ただし権利そのものは消えず、通らないのはその場面での行使だけである旨まで書いて締める

1番を飛ばさないのが要点です。権利濫用や信義則のように何にでも使えるルールを一般条項と呼びますが、便利なぶん、条文の解釈を飛ばす言い訳にもなります。法務省が公表した令和5年司法試験の採点実感(民事系科目第1問)は、一般論としてこう指摘しています。

条文を適切に摘示引用し、その文言の解釈を行おうとする答案は、自ずから説得的な論述となり、法律要件の検討の漏れもなくなる傾向にある。 (令和5年司法試験の採点実感(民事系科目第1問)(新しいタブで開く))

同じ採点実感は、判例を検討する際には前提となっている事実関係を基に、その価値判断や論理構造に注意を払いながら具体的に検討することが重要だとも述べています。権利濫用は、まさに事実関係から射程を考えないと使えない論点です。「宇奈月温泉事件がある」ではなく、「宇奈月温泉事件で並べられた事実のうち、本件にあるのはどれか」を書くのが答案です。

公表資料で確認できた出題実績としては、平成20年新司法試験の短答式試験(民事系科目 第1問)があります。

関連する判例と動画

畳4枚分の土地と7.5キロの引湯管という位置関係が、そのまま「損失の軽微さ」の中身になります。事案と審級の全体像は宇奈月温泉事件の記事へ。

学説の整理と、判例が実際に述べたことを分けて書く。この作法は刑法でも同じで、作為義務の発生根拠の記事では、最高裁が学説名を一言も出さずに事実だけを挙げた例を扱っています。

この事件は「レイの法廷」の第1話です。

よくある質問

Q. 信義則と権利濫用は、どちらを使えばよいのですか?

すでに相手との間に契約や雇用などの関係があり、そこから義務を導きたいなら信義則(民法1条2項)、相手が振り上げている権利の行使そのものを止めたいなら権利濫用(同条3項)が近い、という見当がつきます。

Q. 答案でいきなり権利濫用から書いてはいけないのですか?

書けないわけではありませんが、順序としては勧められません。個別の条文やルールで解決できるならそちらが先で、それでも不当な結論になるときの最後の砦として検討するのが作法です。令和5年司法試験の採点実感も、条文を適切に摘示引用してその文言の解釈を行う答案のほうが説得的になり、法律要件の検討漏れも減る傾向にあると述べています。

Q. 権利濫用が認められると、権利そのものが無くなるのですか?

いいえ。宇奈月温泉事件で通らなかったのは、その場面での撤去請求という「行使」だけです。所有権そのものが消えるわけではありません。

Q. 判例はどの説を採っているのですか?

判決文に学説の名前は出てきません。大審院昭和10年10月5日判決が並べたのは、損失が「云うに足らず」であること、除去に莫大な費用がかかること、第三者が事実を「奇貨」として買収したこと、不相当に巨額な代金を要求したこと、という事実です。どの学説の影響がうかがわれるかは、学説の側の整理にとどまります。

Q. 加害の意図がなければ、権利濫用にはならないのですか?

そうとは限りません。利益の比較だけを理由に濫用とした判断もあり、昭和40年の板付基地事件がその例として挙げられます。ただしその判断には「権利濫用の濫用」という批判が向けられており、宇奈月温泉事件のような型の事案では加害の意図が必要だと見る立場も有力です。ここは学説上の争点として残っています。


本記事は、公開されている判決文・e-Gov 法令検索の条文・法務省が公表した試験問題および採点実感にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。動画では当事者を仮名にし、判決文の事実を基に物語として再構成しています。

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