判例マンガ
600円は、健康で文化的か — 朝日訴訟
憲法/最高裁判所大法廷 昭和42年(1967年)5月24日判決(昭和39年(行ツ)第14号)
生活保護基準は違法か、生存権を裁判でどこまで争えるか
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国立岡山療養所。ひとりの結核患者が、十数年、そこで療養していた。
レイ今日の判例は、『健康で文化的な最低限度の生活』とは何か、それを誰が決めるのか、という話です。
みょうぶ健康で文化的な……教科書で見たやつだ!
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雄三(仮名)は両側の肺を病み、厚生大臣の定めた基準どおり、月600円の日用品費(生活扶助)と、無償の医療扶助を受けて療養していた。
レイ月600円というのは、当時の生活保護で日用品費として支給される、最高額でした。
みょうぶ600円かあ……それで生活が成り立つのかな。
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あるとき、実兄の修一(仮名)から、毎月1,500円の仕送りが届くようになった。
修一(仮名)兄として、これくらいはしてやりたい。
レイところが、これが事件の発端になります。
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福祉事務所長は、仕送りを理由に、生活扶助の月600円を打ち切った。
福祉事務所長仕送り1,500円から日用品費600円を差し引いた残り900円は、医療費の自己負担金として納めてもらう。
雄三(仮名)せっかくの兄の好意が、そっくり削られるだけじゃないか……
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雄三(仮名)は岡山県知事、厚生大臣に不服を申し立てたが退けられ、月額600円という基準そのものの違法を主張して出訴した。
雄三(仮名)月600円で、健康で文化的な最低限度の生活が送れるものか。この基準こそ、憲法と生活保護法に違反している。
みょうぶ600円が正しいかどうかを、裁判所が決めるの?
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「健康で文化的な最低限度の生活」——憲法25条1項の言葉は、具体的にいくらなのかを教えてくれない。
レイここが今日いちばん難しいところです。憲法の条文には金額なんて書いてありません。では、誰が『いくらなら足りる』と決めるんでしょうか。
みょうぶうーん……国? 裁判所?
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しかし、上告して間もない昭和39年2月14日、雄三(仮名)は亡くなった。
浩(仮名)父の思いを、私たち相続人が引き継ぎます。裁判を続けさせてください。
みょうぶえ、本人が死んだら、裁判ってどうなるの?
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最高裁判所大法廷、昭和42年5月24日。
裁判長本件訴訟は、上告人の死亡によって終了した。
みょうぶ終了!? 600円が正しいかどうかの答えは……?
レイ生活保護を受ける権利は、その人自身の最低限度の生活を守るための一身専属の権利。相続の対象にはならない、というのが多数意見の理由です。
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もっとも、全員一致ではなかった。
レイ一部の裁判官は反対意見で、生活保護を受ける権利はもはや単なる国の恩恵ではなく法律上の権利であり、少なくとも打ち切られた差額分については、相続人が争う利益を持つはずだと述べています。
みょうぶ多数派とは違う考え方も、ちゃんと記録に残るんだ。
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多数意見は、それでもここで終わらせなかった。「なお、念のために」と断って、本案への意見を付け加えた。
レイ憲法25条1項は、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営めるよう国政を運営すべきことを、国の責務として宣言したにとどまる——直接、個々の国民に具体的な権利を与えたものではない、としています。
みょうぶえ、憲法に書いてあるのに、権利そのものじゃないの?
レイ具体的な権利は、憲法の趣旨を実現するために作られた生活保護法によって、はじめて与えられる——という考え方です。
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では、その中身は誰が決めるのか。
レイ『健康で文化的な最低限度の生活』は固定された金額ではなく、文化の発達や国民経済の進展にあわせて変わる、抽象的・相対的な概念です。何がそれにあたるかの認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量にゆだねられる、とされました。
レイその判断が違法になるのは、法の趣旨・目的を逸脱するか、裁量権を濫用した場合に限られます。
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では、月600円という基準はどうだったのか。
レイこの基準は昭和28年7月に、マーケット・バスケット方式という理論生計費の算定方法で作られたもの。本件当時の昭和31年8月には、景気の上昇もあって、実態からすればすでに低きに失する嫌いがあった、と最高裁も認めています。
みょうぶえ、低すぎるって認めてるのに?
レイそれでも、直ちに違法とまでは認められない——仮に本案の判断に立ち入っていたとしても、上告は棄却を免れなかっただろう、という意見が付け加えられています。
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この判決は、生存権が裁判でどこまで争えるかの出発点になった。
レイ憲法25条1項、生活保護法2条・3条・8条・9条——具体的な生活水準を決めるのは第一次的に行政の裁量であり、裁判所が審査できるのは、その裁量が逸脱・濫用された場合に限られる。これが『プログラム規定』的な理解の枠組みです。
みょうぶ本人は答えを聞けずに亡くなったのに、その裁判がずっと後まで語り継がれてるんだね。
レイはい。生存権が『国への言葉』から『裁判で争える言葉』に近づいていく、最初の一歩になった事件なんです。
この判例のポイント
この判決の本体は、実は『600円は違法か』という本案判断ではありません。主文が答えているのは、訴訟が上告人の死亡によって終了したという一点だけです。生活保護を受ける権利は、その人自身の最低限度の生活を維持するために与えられた一身専属の権利であり、相続の対象にならない——だから相続人が訴訟を引き継ぐ余地もない、という理由づけでした。
よく引用される『憲法25条1項はプログラム規定にすぎない』という部分は、判決文自身が『なお、念のために』と断って付け加えた部分であり、本案判断ではなく傍論にあたります。そこでは、25条1項は国の責務を宣言したにとどまり、具体的権利は生活保護法によってはじめて与えられるとされ、『健康で文化的な最低限度の生活』の具体的水準は厚生大臣の合目的的な裁量にゆだねられ、その裁量の逸脱・濫用があるときに限り違法になる、という枠組みが示されました。
答案では、まず訴訟が終了したという結論(本案)と、念のために示された25条1項の理解(傍論)を区別して書くことが大切です。両方を同じ重みで『最高裁はこう判断した』と書いてしまうと、判決の構造を誤解させます。そのうえで、行政裁量の統制枠組み(逸脱・濫用の有無)を、本件の基準額への具体的なあてはめ(低きに失する嫌いはあるが違法とまではいえない)とセットで示すと、理解が伝わりやすくなります。
会話は読みやすさのための脚色です。人物名はすべて仮名で、事実関係・金額・判決文の引用は、判決文の公式な採録(民集21巻5号1043頁)にもとづいています。