判例マンガ
吸血鬼と呼ばれた男 — 夕刊和歌山時事事件
憲法/最高裁判所大法廷 昭和44年(1969年)6月25日判決
名誉毀損で、事実が真実であることを証明できなくても、真実だと誤信したことに相当の理由があれば罪に問われないか
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昭和38年(1963年)、和歌山市。小さな地方新聞がいくつもしのぎを削っていた。
レイ今日は、新聞記事ひとつが、最高裁の判例を変えた事件です。
みょうぶ記事ひとつで、判例が変わったの?
レイはい。名誉毀損という罪の、骨組みそのものが変わりました。
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昭和38年2月18日。『夕刊和歌山時事』という新聞に、ある記事が載った。
レイ見出しは『吸血鬼Aの罪業』。発行人の浩平(仮名)が書いた記事です。
みょうぶ吸血鬼って、ずいぶん物騒な見出しね……
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記事は、ライバル紙を率いる辰夫(仮名)の、ある振る舞いを書いていた。
レイ記事は、辰夫さんが和歌山市役所の課長に『出すものを出せば目をつむつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや』と聞こえよがしに言ったと報じています。
レイさらに上司の主幹には『魚心あれば水心ということもある、どうだ、お前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか』と凄んだ、とも。
みょうぶそれ……市役所の人を脅して、お金をせびってるってこと?
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辰夫は、名誉を傷つけられたとして浩平を訴えた。
辰夫(仮名)こんな記事を書かれて、黙っていられるか。名誉毀損だ。
浩平(仮名)書いたのは、本当にあったことだ。
レイ浩平さんは、刑法230条の2第1項——事実が真実なら罰しない、という規定で争おうとしました。
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しかし、事実を裏づける証言の扱いをめぐって、つまずきが起きた。
レイ浩平さんは証人・民子(仮名)の証言で事実を裏づけようとしましたが、裁判所はその一部を伝聞だとして取り上げませんでした。
みょうぶ伝聞? 人づてに聞いた話だから、証拠にならないってこと?
レイそうです。その結果、『真実であることの証明がない』という扱いになってしまったんです。
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ここで、当時すでに確立していた判例が立ちはだかる。
レイ昭和34年の最高裁判例は、こう言っていました。『真実であることの証明がない以上、誤信していたとしても故意を阻却せず』。
みょうぶ本気で本当だと思って書いても、関係ないってこと!?
レイはい。信じていたかどうかではなく、本当に真実だったかどうかだけが問われる——それが当時のルールでした。
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第一審・控訴審は、この判例にしたがって浩平を有罪とした。
裁判長被告人を、有罪とする。
浩平(仮名)信じて書いたことが、罪になるのか……
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みょうぶは納得がいかない。
みょうぶでも、新聞も放送も、全部を自分の目で確かめてから書くなんて無理よね?
レイそこなんです、みょうぶ。これは浩平さん一人の問題じゃない。『真実の証明がなければ即有罪』では、誰も怖くて記事が書けなくなる。
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昭和44年6月25日。最高裁判所大法廷。
裁判長原判決および第一審判決を破棄し、本件を和歌山地方裁判所に差し戻す。
レイ最高裁は、11年前の自分たちの判例を変更したんです。
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大法廷が示した、新しいものさし。
レイ『事実が真実であることの証明がなくても、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない』。
みょうぶ誤信したかどうかも、ちゃんと見てくれるようになったんだ。
レイはい。そして、取り上げられなかった民子さんの証言も、伝聞ではないとして、審理のやり直しを命じました。
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最高裁は、なぜ考え方を変えたのか。
レイ刑法230条の2は、個人の名誉と、憲法21条が保障する言論の自由との調和を図った規定だ——最高裁はそう位置づけました。
レイ真実の証明だけを唯一のものさしにすると、立証に少しでも穴があれば、誠実な報道まで罰することになってしまいます。
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事件は和歌山地裁に戻り、浩平に相当の理由があったかどうかが、あらためて審理されることになった。
みょうぶで、結局浩平さんはどうなったの?
レイ差し戻し後の審理は、この判決が示したものさしの範囲内で行われます。今日の主役は、その『ものさし』そのものなんです。
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この事件が書き換えたのは、刑法の条文ではなく、条文の読み方だった。
レイ刑法230条1項——『公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する』。
レイそして230条の2第1項——『前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない』。
レイこの二つの条文のあいだに、『誤信にも相当の理由があれば』という橋を架けたのが、夕刊和歌山時事事件なんです。
この判例のポイント
この事件の核心は、刑法230条の2が用意している『真実性の証明』という防御と、最高裁が新しく認めた『誤信の相当性』という防御が、別物だという点です。真実の証明に失敗しても、確実な資料・根拠にもとづいて真実だと信じたことに相当の理由があれば、名誉毀損の故意そのものが認められません。
判断の順序は3段階に分けられます。①摘示された事実が公共の利害に関するものか、②目的が専ら公益を図ることにあったか、③(真実の証明がある場合は不処罰。証明がない場合でも)確実な資料・根拠に照らし誤信に相当の理由があったか。昭和44年判決は、この③の最後のルートを新しく切り開きました。
答案で書くときは、まず刑法230条1項の構成要件(公然性・事実の摘示・名誉毀損)を認めたうえで、230条の2第1項の3要件を順番に検討し、真実性の証明が不十分な場合に初めて『誤信の相当性』の論点に進む、という構成にします。いきなり誤信の話から書くと、原則(真実性の証明)と例外(誤信の相当性)の関係が崩れます。
会話は読みやすさのための脚色です。登場人物の名前はすべて仮名で、発言・事実関係・数値は判決文(ウィキソース掲載の判決原文)の認定にもとづいています。