朝日訴訟をわかりやすく — 生存権と「健康で文化的な最低限度の生活」
朝日訴訟の最高裁判決は、生活扶助基準が違法かどうか(本案)について、判断を示していません。最高裁判所大法廷 昭和42年(1967年)5月24日判決は、主文で「本件訴訟は、昭和三九年二月一四日上告人の死亡によつて終了した。」と述べ、そこで訴訟を閉じました。よく引かれる憲法25条1項についての判断は、判決文が「なお、念のために」と断って付け加えた部分です。この記事では、その順番どおりに——まず訴訟が終わった理由、次に付け加えられた意見——読んでいきます。

朝日訴訟とは — 最高裁判所大法廷 昭和42年5月24日判決
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所大法廷 |
| 裁判年月日 | 昭和42年(1967年)5月24日 |
| 裁判種別 | 判決 |
| 判例集 | 民集21巻5号1043頁 |
| 論点 | 生存権(憲法25条)の法的性格/生活扶助基準の設定と厚生大臣の裁量/保護受給権の一身専属性と訴訟の承継 |
| 主文 | 本件訴訟は、昭和三九年二月一四日上告人の死亡によつて終了した。 |
| 一次資料 | 判決全文PDF(courts.go.jp)(新しいタブで開く) / 大法廷判決の一覧(courts.go.jp)(新しいタブで開く) |
「朝日訴訟」は、この訴訟を起こした人の姓に由来する呼び名です。判決文そのものに当事者の氏名は出てきません。判決文は訴えた側を「上告人」と書き、その相続人を「D」「E」、入所していた療養所を「F療養所」、実の兄を「G」という記号で表しています。この記事でも、判決文の表記をそのまま使います。
書いているのは、裁判所が公表している判決全文と、e-Gov 法令検索で確認した条文の範囲だけです。第一審判決・控訴審判決(原判決)の全文は、今回、公式の裁判例データベースで確認できませんでした。 そのため下級審に触れるのは、最高裁の判決文が摘示している範囲に限っています。
何が起きたのか(事案)
判決文が認定しているのは、次の流れです。
上告人は、十数年前からF療養所に単身の肺結核患者として入所していました。受けていたのは、厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額たる月600円の日用品費の生活扶助と、現物による全部給付の給付医療扶助です。
ところが、実の兄Gから扶養料として毎月1,500円の送金を受けるようになりました。これを受けて津山市社会福祉事務所長は、月額600円の生活扶助を打ち切り、送金額から日用品費を控除した残額900円を医療費の一部として上告人に負担させる保護変更決定をします。
上告人はこの決定を争いました。岡山県知事に対する不服申立でも、厚生大臣に対する不服申立でも決定は是認されたため、厚生大臣を被告として、600円という基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するにたりない違法なものであると主張し、同大臣の不服申立却下裁決の取消を求めて出訴しました。
判決文によれば、この生活扶助基準は昭和28年7月に設定されたもので、月額600円を算出した根拠となる費目・数量・単価は第一審判決の別表に記載されている、とされています。
そして上告審の途中で、事態が動きます。上告人は昭和38年11月20日に上告を申し立てたものの、昭和39年2月14日に死亡しました。訴訟は、その相続人であるD・Eが承継できるかどうか、という中間の争いから始まることになります。
争点 — 誰が、どこまで判断できるのか
この判決には、順番の違う二つの問いがあります。
一つめは入口の問いで、生活保護を受ける権利をめぐる訴訟は、本人が死亡した後も相続人が引き継げるのか。二つめが本案の問い、月600円という生活扶助基準は違法といえるかです。最高裁は一つめで訴訟を終わらせたため、二つめは「念のために」付け加える形になりました。
入口の問いについては、最高裁の中でも意見が分かれています。
多数意見(訴訟は終了した)
- 保護受給権は被保護者個人に与えられた一身専属の権利で、相続の対象とならない
- 生存中の扶助ですでに遅滞にある分の給付を求める権利も、被保護者の死亡によつて当然消滅する
- よって相続人D・Eが訴訟を承継する余地はない
反対意見(承継を認めるべきだ)
- 自己負担金を支払わされた分について、国に対する不当利得返還請求権が成立しうる
- その条件付きの権利は保護受給権とは別個のもので、一身専属的ではなく相続性を有する
- D・Eは「本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益」を有する
判決文の末尾には、裁判官奥野健一の補足意見と、裁判官草鹿浅之介・同田中二郎・同松田二郎・同岩田誠の反対意見があったことが記されています。
裁判所は何と言ったか(判旨)
① 保護受給権は「法的権利」だが、一身専属である
最高裁はまず、生活保護を受けることが単なる恩恵ではないと正面から認めます。
おもうに、生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものと解すべきである。しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし(五九条参照)、相続の対象ともなり得ないというべきである。
つまり、権利ではある。ただしその人限りの権利である、という組み立てです。だから訴訟も引き継げない、と続きます。
されば、本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、同人の相続人D、同Eの両名においてこれを承継し得る余地はないもの、といわなければならない。
ここで本案の審理は終わります。生活扶助基準の適否は、判決の結論を支える判断としては出されていません。
② 憲法25条1項は「国の責務の宣言」
ここから先は、判決文が次の一文を置いて付け加えた部分です。
(なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。
その中で、最高裁は憲法25条1項をこう読みました。条文は e-Gov 法令検索で次のとおりです。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(憲法25条1項・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))
この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。
言い換えると、憲法25条1項は国に向けた宣言であり、裁判で直接「いくら払え」と言える権利の根拠にはならない。その具体化は法律の仕事だ、という読み方です。受け皿にあたる生活保護法も、同じく e-Gov で確認できます。
この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。(生活保護法1条・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))
③ 裁量に委ねる。ただし、限界がある
では、その基準の中身は誰が決めるのか。最高裁の答えは、判旨の中でもっとも引かれる一節です。
しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。
つまり、基準が低いか高いかは原則として政治の責任で問う話であり、裁判所が違法というのは「著しく低い」といった裁量の限界をこえた場合に限られる、という線引きです。「いちおう」という留保と、「ただ」以下の例外が、この一節の両輪になっています。
なお、基準を厚生大臣が定めるという仕組みは、いまの条文にも残っています。
保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。(生活保護法8条1項・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))
判決当時の「厚生大臣」は、現在の厚生労働大臣にあたります。8条2項は、その基準が「最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない」と定めており、上限と下限の両方から縛りをかけています。
④ 付け加えられた意見の結論
「なお書き」の中で、最高裁は基準の読み方についても述べています。各費目・数量・単価を個別に見るのではなく、その全体を統一的に把握すべきであるという指摘です。そのうえで結論はこうなりました。
以上のことを念頭に入れて検討すれば、原判決の確定した事実関係の下においては、本件生活扶助基準が入院入所患者の最低限度の日用品費を支弁するにたりるとした厚生大臣の認定判断は、与えられた裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用した違法があるものとはとうてい断定することができない。)
閉じ括弧で終わっているとおり、ここまでが付け加えられた部分です。判決文は続けて、「裁判官奥野健一の補足意見および裁判官草鹿浅之介、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。」と述べています。
この判決が言っていないこと
判例を使うときに事故が起きやすいのは、判決が言っていないことまで判決の名前で語ってしまう場面です。この判決については、少なくとも三つ注意が要ります。
一つめ。25条1項についての判断は、判決の結論を導くために必要な判断ではありません。判決文自身が「なお、念のために」と断って付け加えています。訴訟はその前に、上告人の死亡によって終了しています。
二つめ。この判決は「生存権は権利ではない」とは言っていません。保護受給権は「法的権利」であると明言したうえで、それを一身専属の権利と位置づけています。憲法25条1項から直接に具体的な給付を求められない、という話と、生活保護法に基づく権利があるという話は別の層です。
三つめ。判決文には学説の名前が出てきません。この「なお書き」は教科書で特定の学説名と結びつけて説明されることがありますが、それは学説の側の整理であり、最高裁がどの説を採ったかは判決文からは分かりません。答案でも記事でも、「この判例は◯◯説を採用した」と書くのは判決文を超えています。
裁量に司法審査がどこまで届くのか、という問いの立て方は、規制の必要性を事実で検査した薬事法違憲判決と並べると輪郭がはっきりします。また、憲法上の権利を国と国民のどちらがどこまで決められるのかという構図は、教育の中身を誰が決めるのかを扱った旭川学力テスト事件と共通します。憲法の規定が「誰と誰の間で、どう働くか」という問いそのものは、私人間の関係を扱った三菱樹脂事件も同じ土俵にあります。
答案ではどう書くか
生存権が問われる問題は、「25条は権利か否か」で止めると点にならないのが特徴です。権利の所在を確認したうえで、基準の設定という行政の判断をどう審査するかまで進める必要があります。
- 問題提起 — 本件の基準設定(またはその変更)は、憲法25条・生活保護法に反し違法といえるか
- 出発点 — 憲法25条1項は国の責務を宣言したにとどまり、具体的権利は生活保護法によってはじめて与えられる(判旨)
- 規範① — 何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう厚生大臣(現・厚生労働大臣)の合目的的な裁量に委ねられている
- 規範② — ただし、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等、憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、裁量権の限界をこえ又は濫用した場合は、違法として司法審査の対象となる
- あてはめ — 費目・数量・単価を個別に取り出さず全体として統一的に把握し、限界をこえたといえる事情があるかを検討する
- 結論 — 限界をこえたといえなければ、当不当の問題にとどまり違法とはいえない
書くときに外さないほうがよい点が二つあります。一つは、この判示が「念のために」付け加えられた部分だと知っておくこと。もう一つは、あてはめを「基準が低いと思うか」で書かないことです。判決が立てたのは「著しく低い基準を設定する等」「裁量権の限界をこえ又は濫用」という線であって、裁判所が適正額を測り直す形にはなっていません。
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「レイの法廷」では、判例を物語として追いながら、争点と答案の型まで通しで扱っています。この回の動画はまだありません。公開済みの回はレイの法廷にまとめてあります。
よくある質問
Q. 朝日訴訟は、結局どちらが勝ったのですか?
最高裁は勝ち負けを判断していません。主文は「本件訴訟は、昭和三九年二月一四日上告人の死亡によつて終了した。」であり、生活扶助基準が違法かどうかという本案の判断は、判決の結論としては示されていません。よく引用される憲法25条1項の判示は、判決文が「なお、念のために」と断って付け加えた部分です。
Q. 憲法25条1項があるのに、なぜ直接の権利にならないのですか?
判決文は、25条1項について「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない」と述べています。そのうえで「具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである」としました。権利がないというより、具体的な中身は法律が決める、という構造です。
Q. 生活保護を受ける権利は、相続できないのですか?
判決文は、保護受給権を「単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利」としたうえで、「被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利」であり、譲渡できず相続の対象ともなり得ない、と述べています。この点には反対意見があり、自己負担分についての不当利得返還請求権を論拠に訴訟の承継を認めるべきだとする裁判官もいました。
Q. 「厚生大臣の裁量」なら、裁判所は何もできないのですか?
そうではありません。判決文は、認定判断が「いちおう」裁量に委ねられているとしつつ、「現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない」と述べています。裁判所が入る扉は、裁量の逸脱・濫用に絞られている、という形です。
Q. いまも「厚生大臣」が基準を決めるのですか?
現在の生活保護法8条1項は「厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし」と規定しています(e-Gov 法令検索で確認)。判決当時の厚生大臣にあたるのが、現在の厚生労働大臣です。同条2項は、その基準が最低限度の生活の需要を満たすに十分であり、かつこれをこえてはならない、と定めています。
この記事は判決文と条文にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。生活保護の申請や変更に関する具体的な取扱いは、事実関係と現在の法令・基準によって変わるため、個別の事案は自治体の窓口や専門家にご相談ください。当事者の表記は、判決文が用いている「上告人」および記号(D・E・F・G)をそのまま使っています。
この判例は、どの試験で問われるか
同じ事件が、試験ではどの科目で、どう問われるのか。試験のまとめには科目ごとの出題数と配点、 繰り返し問われる判例の判決本文への直リンクを載せています。登録は要りません。
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