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「宴のあと」事件をわかりやすく — プライバシー権と三つの要件

「宴のあと」事件の判決は、私生活をみだりに公開されない利益を「一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない」と述べ、プライバシーの侵害を民法709条の不法行為として認めました。東京地方裁判所 昭和39年(1964年)9月28日判決です。争われたのは、実在の人物を思わせる小説の描写が、たとえ作者の創作(フィクション)であってもプライバシーの侵害になるか、という点でした。裁判所は、公開された内容が真実である必要はないと判断し、被告らに連帯して80万円の支払いを命じています。

私事を公開されない権利 — 「宴のあと」事件・東京地方裁判所 昭和39年9月28日判決
宴のあとの静かな座敷

「宴のあと」事件とは — 東京地方裁判所 昭和39年9月28日判決

項目内容
裁判所東京地方裁判所(第一審)
裁判年月日昭和39年(1964年)9月28日
裁判種別判決
事件番号昭和36年(ワ)第1882号
事件名損害賠償請求事件
判例集判例時報385号(新しいタブで開く)(目次に「小説「宴のあと」事件第一審判決(東京地判昭39・9・28)」と収録)
論点プライバシー権の法的性質/モデル小説による侵害/違法性阻却(表現の自由・公的存在)
結論慰謝料80万円を認容。謝罪広告の請求は棄却

通称の「宴のあと」は、訴えの対象となった小説の題名です。この判決は第一審の判決であり、最高裁判所の判断ではありません。

この判決は古い下級審のもので、執筆時点で裁判所の裁判例検索(courts.go.jp)(新しいタブで開く)では全文を確認できませんでした。本文の引用は、京都産業大学のサイトに掲載された第一審判決全文(新しいタブで開く)によります。条文は e-Gov 法令検索で確認しました。判決文にない事実は書いていません。

当事者はすべて「原告」「被告」と書き、実名は使いません。 判決文の引用の中に実名が出てくる箇所は、〔作者である被告〕のように〔 〕で置き換えています。小説の登場人物「野口雄賢」「福沢かづ」は架空の人物なので、判決文どおりの表記を使います。

何が起きたのか(事案)

原告は、外務大臣を歴任し、のちに東京都知事選挙に立候補して落選した男性です。被告は、小説の作者・単行本の発行者・発行所である出版社の三者でした。

小説は、雑誌に昭和35年1月号から10月号まで連載され、同年11月に単行本として刊行されます。主人公「野口雄賢」の経歴は、原告の経歴とよく似ていました。判決は、この点をこう認定しています。

このように昭和34年4月の都知事選挙をめぐる公知の事実と原告が別紙「連想部分指摘表」に挙示した本件小説中の各描写部分……とを対照し……「野口雄賢」および「福沢かづ」がそれぞれ原告および〔原告の元妻〕をモデルとしたものであることを一般の読者にも察知させるに充分な内容のものであつたことが認定でき、この意味において「宴のあと」がモデル小説であることは否定できない。

つまり、読者が「これはあの人のことだ」と分かる程度にモデルが透けていた、ということです。

ところが、原告が「プライバシーを侵害された」と主張した描写そのものは、現実にあった出来事ではありませんでした。判決は、そこもはっきり認定しています。

すでに認定したとおり、原告がプライバシーの侵害として挙示する描写はいずれも原告の現実の私生活を写したものではなく、〔作者である被告〕のフイクシヨンになるものと認められ、そのかぎりでは「宴のあと」が原告の私生活を暴露、公開したとはいえない。

原告は、連載中および単行本化の前に、出版をやめてほしいと繰り返し申し入れていました。出版社はこれを拒み、むしろ「モデル小説」であることを前面に出した広告を打って刊行しています。発行部数は合計4万部に達しました。

争点 — 描写が作者の創作でも、プライバシーの侵害になるか

争点は一つに絞られます。現実に起きていないこと(創作)を書いたのに、モデルにされた人のプライバシーを侵害したといえるのか。

被告側の言い分は、次の三本立てでした。

被告の主張

  • そもそもプライバシーは法律上の「権利」ではない
  • 現実の事実を公開していない以上、侵害にならない
  • 言論・表現の自由の保障が優先する。原告は公的存在だった

裁判所の答え

  • 法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であり、一つの権利と呼ぶことを妨げない
  • 真実らしく受け取られるものであれば、なお侵害としてとらえられる
  • どちらが優先するという性質のものではない。公人でも無差別・無制限の公開は許されない

裁判所は何と言ったか(判旨)

まず、プライバシーは「権利」だと述べた

出発点は、条文ではなく「個人の尊厳」という考え方でした。

近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよつて立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによつてはじめて確実なものとなるのであつて、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。

そのうえで、すでに法律の中にプライバシー保護の「片鱗」があることを具体的に挙げます。判決が挙げたのは、他人の住居をひそかにのぞき見る行為を犯罪とする軽犯罪法1条1項23号、隣地の観望を規制する民法235条1項、信書開披罪の刑法133条でした。

……私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。

言い換えると、「マナーの問題」ではなく「裁判で救済される利益」だということです。人格権に含まれるが、それを「権利」と呼んでかまわない、という順序で書かれています。

なお、判決文のこの部分に憲法13条という条数は出てきません。出てくるのは「個人の尊厳」と「幸福の追求」という言葉です。憲法13条は次の条文なので、言葉としては重なります。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(憲法13条・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))

引用するときは、「判決が憲法13条を根拠に挙げた」と書くのではなく、判決が実際に使った言葉のまま扱うのが安全です。

次に、根拠条文は民法709条だと述べた

右に判断したように、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。

プライバシー権の定義はここです。「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」。そして受け皿の条文が民法709条だ、と述べました。

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。(民法709条・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))

慰謝料の根拠になるのが次の条文です。

他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。(民法710条)

※ 引用した条文はいまの文言です。

三つめ、公開された内容は真実でなくてよい

この事件の核心が、ここです。

そしてここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもつて当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。

理由も述べられています。読者に「本当らしい」と思われた時点で、本人の心の平穏は同じように壊れるからです。判決は続けて、真実かどうかではなく、本人が「好奇心の的になる」「あれこれ憶測される」と意識することで受ける精神的な負担が、法の許さない不当なものかどうかが問題だ、と整理しています。

ここは名誉毀損との違いが出る場所です。名誉毀損では、書かれた内容が真実かどうかが争点になります。プライバシーの侵害では、真実であることがむしろ典型であり、真実らしく読めるだけでも足りる、という向きになります。

四つめ、三つの要件を立てた

プライバシー侵害の三つの要件
三つの要件と、実際に不快・不安を覚えたこと

答案でも実務でも、いちばん引かれるのがこの部分です。

そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによつて心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。

平易に置き換えると、こうなります。

  • (イ) 私生活のことか — 私生活上の事実か、そう受け取られるおそれのあることがら
  • (ロ) 公開されたくないことか — 一般の人の感じ方を基準に、その人の立場に立って判断する
  • (ハ) まだ知られていないことか — すでに世に知られていることは対象外
  • そのうえで 本人が実際に不快・不安を覚えたこと

最後の一文も落とせません。名誉や信用を傷つけていなくても成立する、と明記されています。プライバシーは名誉とは別の利益だから、というのが理由です。

違法性が否定されるのはどんなときか

侵害にあたるとしても、公開することに法律上正当な理由があれば違法性がなく、不法行為は成立しません。被告側はここで三つの主張をしましたが、いずれも通りませんでした。

芸術的価値があっても、それだけでは正当化されない

しかし、小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのことが当然にプライバシー侵害の違法性を阻却するものとは考えられない。それはプライバシーの価値と芸術的価値(客観的な基準が得られるとして)の基準とは全く異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである。

物差しが違うので比べられない、という理由づけです。判決はここで、創作の度合いが大きくてモデルを思い出させなくなれば侵害自体が否定される、とも述べています。ただしそれは「芸術がプライバシーに勝つから」ではなく「そもそも侵害がないから」だ、と念を押しています。

表現の自由とは、どちらが上でもない

小説の発表・刊行に憲法21条1項の保障が及ぶことは、裁判所も認めました。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(憲法21条1項・e-Gov 法令検索(新しいタブで開く))

そのうえでの判示です。

元来、言論、表現等の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれが優先するという性質のものではなく、言論、表現等は他の法益すなわち名誉、信用などを侵害しないかぎりでその自由が保障されているものである。このことはプライバシーとの関係でも同様であるが、ただ公共の秩序、利害に直接関係のある事柄の場合とか社会的に著名な存在である場合には、ことがらの公的性格から一定の合理的な限界内で私生活の側面でも報道、論評等が許されるにとどまり、たとえ報道の対象が公人、公職の候補者であつても、無差別、無制限に私生活を公開することが許されるわけではない。

どちらかが常に勝つ、という関係ではない。公的な性格のある事柄なら、合理的な限界の中で私生活にも触れてよい。しかしそれは「限界の中で」であって、公人なら何を書いてもよいことにはならない、ということです。

なお、私人どうしの間で憲法の規定がどう働くかという問題は、三菱樹脂事件で正面から扱われています。この判決が民法709条を通して結論を出しているのも、同じ構造の中にあります。

公人であったことも、範囲を広げきらない

本件のように、都知事選挙から1年前後も経過し、原告がすでに公職の候補者でなくなり、公職の候補者となる意思もなくなつているときに、公職の候補者の適格性を云々する目的ではなく、もつぱら文芸的な創作意慾によつて他人のプライバシーを公開しようとするのであれば、それが違法にわたらないとして容認される範囲はおのずから先の例よりも狭くならざるを得ない道理であり、おおむねその範囲は、世間周知の事実および過去の公的活動から当然うかがい得る範囲内のことがらまたは一般人の感受性をもつてすれば、被害意識を生じない程度のことがらと解するのが妥当である。

ここには二つの物差しが入っています。目的(候補者の適格性を判断するためか、創作のためか)と、時間の経過(選挙から1年前後)です。どちらも「公開してよい範囲」を狭める方向に働きました。

謝罪広告が認められなかった理由

プライバシーの侵害と名誉毀損の違い
真実性と救済方法で分かれる二点

原告は、全国紙3紙への謝罪広告と100万円の賠償を求めていました。裁判所は、謝罪広告のほうを退けています。

私生活(私事)がみだりに公開された場合に、それが公開されなかつた状態つまり原状に回復させるということは、不可能なことであり名誉の毀損、信用の低下を理由とするものでない以上は、民法723条による謝罪広告等は請求し得ないものと解するのが正当である。

一度公開されたものは、謝っても「公開されていない状態」には戻らない。名誉毀損なら謝罪広告で信用を回復できるが、プライバシーの侵害はそれとは違う、という理屈です。プライバシーと名誉を別の利益として扱った先ほどの判示と、ここで筋が通ります。

賠償額については、事情が両方向に考慮されました。原告の側には、連載中に積極的な抗議をしなかった事情がありました。被告の側には、出版の中止要求を拒んだうえ、モデルとしての興味をかき立てる広告を出したこと、発行部数が合計4万部に達したことが挙げられています。結論は、連帯して80万円でした。

答案ではどう書くか

プライバシー侵害を問う問題では、要件を立ててから当てはめる順番が固定されています。

プライバシー侵害を検討する順番
  1. 問題提起 — 本件公開行為は、民法709条の不法行為となるプライバシーの侵害にあたるか
  2. 権利性 — 私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利であり、人格権に包摂されるが一つの権利と呼んでよい
  3. 規範 — (イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがら (ロ)一般人の感受性を基準に、その人の立場に立って公開を欲しないと認められることがら (ハ)一般の人々に未だ知られていないことがら。加えて本人が実際に不快・不安の念を覚えたこと
  4. あてはめ — 三要件を一つずつ。真実かどうかは要件ではないこと、名誉・信用の侵害は不要であることを外さない
  5. 違法性阻却 — 公共の秩序・利害に直接関係する事柄か、社会的に著名な存在か。目的と時間の経過から「合理的な限界」を画す
  6. 結論 — 受忍すべき範囲を越えるか

書くときに外さないほうがよい点が三つあります。一つは、真実性を論じ始めないこと。名誉毀損の型を持ち込むと、この判決の枠組みから外れます。二つめは、(ロ)の基準が「一般人の感受性」であること。本人がどう感じたかは最後の「実際に不快・不安を覚えたこと」で拾います。三つめは、公人論を「だから何を書いてもよい」で終わらせないこと。判決は「一定の合理的な限界内」と繰り返しています。

第一審の判断がそのまま判例の到達点になるわけではない、という点も押さえておきたいところです。審級が上がると何が動くのかは上告と控訴の違いにまとめています。また、この判決が立てた「公開されたくないことか」という物差しは、いまの個人データを扱うサービスの設計にも地続きで効いてきます。

動画で見る

「レイの法廷」では、判例を物語として追いながら、争点と答案の型まで通しで扱っています。この回の動画はまだありません。公開済みの回はレイの法廷にまとめてあります。

よくある質問

Q. 「宴のあと」事件は、日本で初めてプライバシー権を認めた裁判ですか?

この判決自身は「初めて」とは述べていません。判決が述べているのは、私事をみだりに公開されない保障が「法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益」であり、「これを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない」ということです。なお、これは東京地方裁判所の第一審判決であり、最高裁判所の判断ではありません。

Q. 書かれたことが事実ではないのに、なぜプライバシーの侵害になるのですか?

判決が「公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく……真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができる」と述べたからです。理由として、読者に本当らしいと思われた時点で本人の精神的平穏が害われる度合いは、真実の場合と大きく変わらない、と説明されています。

Q. プライバシーの侵害と名誉毀損は、どう違うのですか?

判決は、プライバシーの侵害が成立するために「当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しない」と明記しています。別の利益だからです。この違いは救済方法にも出ていて、名誉毀損を理由としない以上は民法723条の謝罪広告を請求できない、として謝罪広告の請求は棄却されました。

Q. 有名人や政治家なら、私生活を書いてもよいのですか?

判決は「たとえ報道の対象が公人、公職の候補者であつても、無差別、無制限に私生活を公開することが許されるわけではない」と述べています。認められるのは「一定の合理的な限界内」での報道・論評です。この事件では、選挙から1年前後が経ち、候補者でなくなっていたこと、目的が適格性の判断ではなかったことが、範囲を狭める方向に働きました。個別の事案でどこまで許されるかは事実関係によって変わるので、ここでは断定しません。

Q. モデル小説を書くと、必ずプライバシーの侵害になるのですか?

なりません。判決は、創作の度合いが大きくモデルの生の事実から離れていくほど、特定のモデルを想起させることが少なくなり、侵害が否定される、と述べています。またこの判決は、指摘された描写のうち一部だけを侵害と認め、その他の部分は「未だ原告のプライバシーを侵害したと認めるに充分ではない」としています。

まとめ

  • 東京地方裁判所 昭和39年9月28日判決は、私生活をみだりに公開されない法的保障を「一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない」と述べ、その侵害を民法709条の不法行為として評価し、慰謝料80万円を認容した(第一審判決であり、最高裁判所の判断ではない)
  • 救済の要件は(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがら(ロ)一般人の感受性を基準に公開を欲しないと認められることがら(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがら、加えて本人が実際に不快・不安の念を覚えたこと。公開された内容が真実である必要はなく、名誉・信用の侵害も要しない
  • 違法性は、芸術的価値があるだけでは阻却されない。表現の自由とプライバシーはどちらが優先する関係でもなく、公人でも無差別・無制限の公開は許されない。また原状回復が不可能なため、民法723条の謝罪広告は請求できない

この記事は判決文と条文にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案の結論は事実関係によって変わります。当事者は「原告」「被告」と表記し、実名は用いていません。小説の登場人物名は架空のものです。

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