ルンバール事件と「高度の蓋然性」 — 因果関係の証明はどこまで必要か
裁判で因果関係が「証明された」といえるのは、一点の疑いも残らないほど科学的に原因を特定できたときではありません。最高裁判所第二小法廷は昭和50年10月24日の判決(ルンバール事件・民集29巻9号1417頁)で、訴訟上の因果関係の立証は自然科学的証明ではなく、経験則(経験から導かれる常識的な法則)に照らして全証拠を総合検討した「高度の蓋然性」の証明で足りると述べました。物差しは、通常人(ふつうの人)が疑いを差し挟まない程度に真実だと確信を持てるかどうかです。論点は、民法709条・国家賠償法1条1項の要件である因果関係を、民事訴訟法247条の自由心証主義のもとでどこまで証明すれば足りるのか(証明度)という点にあります。

ルンバール事件とは — 最高裁判所第二小法廷 昭和50年10月24日判決
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第二小法廷 |
| 裁判年月日 | 昭和50年10月24日 |
| 裁判種別 | 判決 |
| 事件番号 | 昭和48年(オ)第517号 |
| 事件名 | 損害賠償請求 |
| 判例集 | 民集第29巻9号1417頁 |
| 原審 | 東京高等裁判所 昭和48年2月22日判決(昭和45年(ネ)第589号) |
| 結果 | 破棄差戻 |
| 論点 | 訴訟上の因果関係の立証(証明度)・高度の蓋然性・経験則 |
| 結論 | 施術と発作との因果関係を否定した原審の判断は経験則に反する |
書誌は裁判所の裁判例情報(事件の詳細ページ(新しいタブで開く))で確認できます。
「ルンバール」は腰椎穿刺(ようついせんし)のことです。判決文はこれを「ルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)」と説明しています。背中から針を刺し、髄液を採って薬を注ぎ込む施術です。
なお判決文は、病院・医師をいずれも記号(D病院、E医師、F医師)で表記しています。この記事でも病院名・医師名は書かず、患者側も仮名で扱います。
何が起きたのか(事案)
以下は、最高裁が「原審の適法に確定した事実」として摘示した事実です。判決文に出てこない事情は後の節で区別して書きます。
当時3歳の男の子(ここでは健太と呼びます)は、化膿性髄膜炎のため昭和30年9月6日に入院しました。治療は効いていて、判決文の言葉では「次第に重篤状態を脱し、一貫して軽快しつつあつた」状態でした。入院中は連日、髄液を採ってペニシリンを注入する施術が行われています。
9月17日の午後0時30分から1時頃までの間に、その日のルンバールが行われました。施術の直後、医師は試験管の髄液を光に透かして「ちつともにごりがない。すつかりよくなりましたね。」と述べています。発作の2日後に行われた検査でも、髄液中の細胞数は施術前より減っていて、病状の好転を示していました。
ところが、その日の施術にはいくつも通例と違う点がありました。判決文はこう認定しています。
一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、上告人の昼食後二〇分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当のF医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。
つまり、嘔吐を避けるために食事の前後は外すのがふつうなのに、医師が学会に間に合わせるため、あえて昼食の直後に行ったという事実が認定されています。
施術の様子も平穏ではありませんでした。「嫌がつて泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ」で行われ、「一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約三〇分間を要した」とされています。健太は「もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められた」子でした。
施術から15分ないし20分後、健太は突然、嘔吐とけいれんの発作を起こします。その後、右半身のけいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害、運動障害が残り、同年11月2日に後遺症を残したまま退院しました。脳波の所見は左前頭部・左側頭部に限局性の異常波(棘波)を示し、異常部位は脳実質の左部にあると判断されています。主治医は退院まで、原因を脳出血と判断して治療を続けていました。そして「化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められなかつた」とも認定されています。
患者側は、国に対して損害賠償を求めました。事故が昭和30年9月、最高裁の判決が昭和50年10月です。判断が出るまでに20年かかっています。
審級で何が変わったか
| 審級 | 因果関係 | 過失 | 結論 |
|---|---|---|---|
| 第一審(東京地方裁判所) | 認めた | 否定した | 請求棄却 |
| 控訴審(東京高判昭和48年2月22日) | 否定した | 判断せず | 請求棄却 |
| 上告審(最二小判昭和50年10月24日) | 肯定した | 差戻審で審理 | 破棄差戻 |
第一審と控訴審の判決文は裁判所の公式データベースに収録されていません。第一審の判断内容(髄液所見の改善や脳波所見などからルンバールによって発作と脳出血が生じたと推定しつつ、医師の過失を否定した)は判例の解説書の記述によります。控訴審の判断は、最高裁の判決文が次のように要約しています。
本件訴訟にあらわれた証拠によつては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難い
原因が脳出血なのか髄膜炎の再燃なのか決められない。だから施術と発作の結びつきも断定できない——これが控訴審の理由でした。審級ごとに結論が動く理由は一審・控訴審・上告審で結論が変わるとき、何が争われているのかで整理しています。
争点 — 科学的に原因を断定できないとき、因果関係は「証明された」といえるか
鑑定人の意見は割れていました。脳出血が一番考えられるとする鑑定人、断定を避けつつ可能性を認める鑑定人、髄膜炎の再燃と見る鑑定人が並んでいます。専門家が一致しないのですから、自然科学として原因を特定することはできません。
ここで対立するのは2つの筋です。一点の疑いも許さない証明を求めれば、原因の解明が難しい医療事件で患者側はほぼ救われません。逆に証明の程度を下げすぎれば、医師は原因不明の結果まで背負うことになります。
争点は「因果関係があるか」ではなく、どこまで証明できれば「ある」と言ってよいかでした。
裁判所は何と言ったか(判旨)
最高裁は、理由の冒頭で物差しそのものを示しました。
訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
つまり、裁判の証明は科学の証明とは別物だということです。求められるのは、証拠を全部まとめて経験則に当てたときに「その原因からその結果が生じたと認めてよい」といえる高い確からしさです。そして物差しは、ふつうの人が疑いを差し挟まない程度の確信であり、それ以上は要らない、それで足りる、と言い切っています。
この一文は、3つの部分に分けて読むと答案でも使いやすくなります。
- 自然科学的証明ではない(一点の疑義も残さない水準は不要)
- 経験則に照らした全証拠の総合検討による「高度の蓋然性」の証明(個々の証拠を別々に採点するのではない)
- 通常人が疑を差し挟まない程度の真実性の確信を必要とし、かつそれで足りる(下限であると同時に上限でもある)
最高裁はどの事実を拾ったか(あてはめ)
最高裁は、原審が確定した事実を並べ直します。病状は一貫して軽快していた。発作は施術の15分ないし20分後に突然起きた。血管が弱く出血しやすい子に、泣き叫ぶ体を押さえて何度も刺し直す施術が30分続いた。脳波は脳の左部の異常を示し、主治医は退院まで脳出血として治療していた。髄膜炎が再燃する蓋然性は通常低く、再燃するような特別の事情もなかった。
以上の事実関係を、因果関係に関する前記一に説示した見地にたつて総合検討すると、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに困つて発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。
(引用中の「困つて」は判決文の表記のままです。「因つて」の意味で読まれています。)
ここで注目したいのは、最高裁が反対方向の証拠を無視していないことです。髄膜炎の再燃と見る鑑定結果も検討したうえで、「右結論の妨げとなるものではない」としています。本判決には大塚喜一郎裁判官の補足意見が付いていて、鑑定人・証人を一人ずつ吟味した結果が要約されています。脳波の専門家でない鑑定人については「同人は脳波の専門家ではないから、同鑑定書中の脳波所見よりは専門家であるH鑑定書の前記所見を信用すべきである」とし、ある証人の証言は「十分な根拠を示していないから説得力に乏しく、措信し難い」と述べています。
専門家の意見が割れたとき、裁判所は多数決で決めているわけではありません。誰がどの分野の専門家で、どれだけの根拠を示しているかを見て、証拠の重みを付けていきます。
そして結論です。原判決は「因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたもの」とされ、「担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。」と締められました。
最高裁が肯定したのは因果関係だけです。医師に過失があったかどうかは差戻審の課題として残されました。この事件の差戻審の結論は、判決文にも判例の解説書にも記載がないため、ここでは書きません。破棄差戻しと破棄自判の違いは「破棄差戻し」と「破棄自判」は何が違うのかで説明しています。
民事訴訟法247条(自由心証主義)との関係
因果関係は、民法709条の要件のひとつです。709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めています(e-Gov 民法(新しいタブで開く))。本件では病院を経営するのが国なので国家賠償法1条1項が使われますが、行為と損害の結びつきが要ることは変わりません。
では、どこまで証明すれば証明したことになるのか。これを正面から定めた条文はありません。民事訴訟法247条は、裁判所が「判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」と定めるだけです(e-Gov 民事訴訟法(新しいタブで開く))。
条文が決めているのは「裁判所が自由な心証で判断する」という判断の仕方までです。「どこまで確からしければ真実と認めてよいか」という水準は条文になく、本判決の一文がその水準を言葉にしたものとして読まれています。
自由心証主義は「裁判官が自由に決めてよい」という意味ではありません。証拠の評価にあらかじめ決まった点数表を置かない、という趣旨です。だからこそ、評価の到達点をどこに置くかという物差しが必要になります。
この判決が決めたこと(意義)
本判決の一文は、その後の民事裁判で因果関係の証明について繰り返し参照される基準になりました。判例の解説書によれば、訴訟上の証明は論理的証明ではなく反証の余地を残す「歴史的証明」である、とした昭和23年8月5日の判決と同じ方向のものと位置づけられています。裁判の証明は、歴史家が史料から過去を確からしく描き出す作業に近い、という見方です。
その後の展開も、解説書の記述によれば次のように整理されています。平成11年2月25日の判決は、検査をしなかった医師の責任について、患者がその死亡の時点でなお生存していたであろうことを証明すれば因果関係を認められるとしました。平成12年9月22日の判決は、救命できた高度の蓋然性までは認められない場合でも、生存していた相当程度の可能性が証明されれば、その可能性の侵害として賠償を認めています。
本判決が引いた「高度の蓋然性」という線は壁でもあり、その壁に届かなかった事案の出口として「相当程度の可能性」の判例が後から置かれた、という関係です。
他方で、本判決の事実認定そのものには批判もあります。判例の解説書は、本件発作の原因を脳出血と認定した根拠は薄弱に過ぎ、今日の視点からは疑問が多い、という評価を紹介しています。自然科学的証明ではないとしても、恣意的な判断が許されるわけではないという指摘です。
なお、差戻審で問われる過失は、解説書によれば診療当時の臨床医学の実践における医療水準を基準に判断されます。因果関係と過失は別の要件です。答案でも混ぜないでください。
学説はどう整理しているか
ここからは学説の整理です。判例がどれかの説を採ったという意味ではありません。
公害や医療過誤のように原因の解明が難しい事件では、立証の負担を軽くする法律構成がいくつも提案されてきました。立証の程度そのものを引き下げる整理(蓋然性説)、定型的な事象の経過があれば原因を推定する整理(一応の推定)、間接事実からの心証形成に着目して証明責任の転換に近い効果を認める整理(間接反証説)などです。
また、不法行為の成立要件としての因果関係を、賠償範囲の問題から切り離して「事実的因果関係」として捉える整理が広く用いられてきました。これに対して近年は、因果関係の判断にも規範的・評価的な判断が含まれているという主張がされています。この見方からすると、本判決の「経験則に照らして全証拠を総合検討し」という部分は、単なる事実認定の話ではなく、法的な評価を一定程度容れた判断枠組みだと読めることになります。
本判決が因果関係の判断をどの程度緩めたのかは、解説書によれば今も明確になっていません。以上は学説の整理であり、判例がどれかの説を採ったことを意味しません。判例の結論がどこまで他の事件に及ぶのかという見方は判例の「射程」とは何かも参考になります。
答案ではどう書くか
民法(国家賠償法)と民事訴訟法にまたがる論点です。因果関係の存否ではなく証明度を聞かれていることに気づけるかが分かれ目になります。
- 原則を置く。国家賠償法1条1項(民法709条)の要件として行為と損害の因果関係が必要で、その証明責任は原告にある
- 本件の特殊性を拾う。鑑定人の意見が割れ、脳出血か髄膜炎の再燃か自然科学的には断定できない
- 問題提起する。自然科学的に断定できない場合に、因果関係が「証明された」といえるのはどのような場合か
- 規範を立てる。訴訟の目的は真実の解明そのものではなく証拠に基づく紛争解決にあり、一点の疑いも許さない証明を求めれば被害者が救済されず、下げすぎれば加害者とされる側が原因不明の結果を負う。そこで、経験則に照らした全証拠の総合検討により高度の蓋然性が証明され、通常人が疑いを差し挟まない程度の確信を持ちうることを要し、かつそれで足りる
- あてはめる。軽快中の経過・施術15〜20分後の突然の発作・出血性傾向・30分を要した施術の態様・脳波の左部異常・主治医の治療方針・再燃の蓋然性の低さを総合する
- 結論を書く。因果関係は証明されたといえる。過失は診療当時の医療水準を基準に別途検討すると一言添える
規範は丸暗記ではなく、理由から立てられる形にしておくと配点を取りやすくなります。刑法の因果関係(危険の現実化)とは判断の対象が違うので、大阪南港事件をわかりやすくと読み比べると、民事の「証明度」の話であることがはっきりします。
動画で見る
この事件は「レイの法廷」第29話で扱っています。事案の時系列、判決文の一字一句の読み上げ、鑑定人の意見が割れた場面、答案の書き方までを通して解説しています。
シリーズの各話はレイの法廷にまとめています。
よくある質問
Q. 「高度の蓋然性」は何パーセントの確からしさですか?
判決文は数字を示していません。示されているのは「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる」という言い方だけです。何割という形で決まっているものではなく、証拠を総合したときに通常人が疑いを差し挟まない確信を持てるかどうかで判断されます。
Q. ルンバール事件では、医師の過失も認められたのですか?
最高裁が肯定したのは因果関係だけです。判決は「担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要がある」として事件を東京高等裁判所に差し戻しました。差戻審の結論は判決文にも判例の解説書にも記載がないため、この記事では触れていません。
Q. 刑事裁判の証明とは違うのですか?
この判決は民事の損害賠償請求についてのものです。刑事裁判では、有罪とするために合理的な疑いを超える証明が必要とされ、疑わしいときは被告人に有利に判断されます。民事と刑事では証明の水準の考え方が異なるので、同じ基準で論じることはできません。
Q. 高度の蓋然性まで証明できなかったら、何も認められないのですか?
本判決の基準に届かなければ、その因果関係は証明されていないことになります。ただし判例の解説書によれば、その後の平成12年9月22日の判決が、救命できた相当程度の可能性が証明された場合に、その可能性の侵害として賠償を認めています。もっとも認められる額は慰謝料を中心とした限られたものになると紹介されています。
Q. 民事訴訟法247条には証明の程度が書かれていないのですか?
書かれていません。247条が定めているのは、裁判所が口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果をしん酌して自由な心証により判断するという点までです。どこまで確からしければ真実と認めてよいかという水準は条文になく、本判決の一文がその水準を言葉にしたものとして参照されています。
この記事は判決文と条文をもとにした一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案の見通しは、弁護士などの専門家にご相談ください。登場する当事者は仮名で、病院名・医師名は判決文と同じく表記していません。
コメント
#レイの法廷#判例#民法#民事訴訟法#因果関係
最近更新した記事
公開後に中身を書き直したものです。日付は更新日。