年少女子の逸失利益と家事労働分 — 最高裁昭和62年1月19日判決の「二重評価」
交通事故で亡くなった14歳の女子中学生について、将来の収入(逸失利益)を賃金センサスの女子労働者の平均給与額で計算する場合、その低さを埋めるために「家事労働分」を上乗せできるか。最高裁判所第二小法廷は昭和62年1月19日の判決で、上乗せは認められないと判断しました(民集41巻1号1頁)。専業として働く前提で平均給与額を使う以上、労働で得る利益はその計算で評価し尽くされているので、さらに家事労働分を足すのは同じ利益の「二重評価」になる、という理由です。論点は不法行為(民法709条)の損害額の算定、とくに年少者の基礎収入と男女間の賃金格差の扱いです。

年少女子の逸失利益とは — 最高裁判所第二小法廷 昭和62年1月19日判決
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第二小法廷 |
| 裁判年月日 | 昭和62年1月19日 |
| 裁判種別 | 判決 |
| 事件番号 | 昭和58年(オ)第331号 |
| 事件名 | 損害賠償 |
| 判例集 | 民集第41巻1号1頁 |
| 原審 | 東京高等裁判所 昭和57年12月20日(昭和57年(ネ)第988号) |
| 参照条文 | 民法709条 |
| 論点 | 就労前の年少女子の逸失利益の基礎収入/家事労働分の加算の可否 |
| 結論 | 上告棄却。家事労働分は加算すべきものではない |
裁判所が付した判示事項は「就労前の年少女子の得べかりし利益の喪失による損害賠償額を女子労働者の平均給与額によつて算定する場合と家事労働分の加算の可否」です。「得べかりし利益」とは、生きていれば得られたはずの利益のことで、いまは逸失利益と呼ばれます。
判決文は亡くなった女子中学生を「D」という記号で表記しており、氏名も住所も出てきません。本稿でもDと呼びます。
何が起きたのか(事案)
判決文が述べている事実は、ごくわずかです。Dは「本件事故当時満一四歳の女子で中学二年生」であり、交通事故で死亡しました。遺族が加害者側に損害賠償を求め、原審(東京高等裁判所)は、賃金センサスという国の賃金統計を使って将来の収入を計算しました。
事故の経緯、加害者、認容された金額は、いずれも最高裁の判決文には書かれていません。以下の事実関係と金額は、この判決についての判例解説の記述によります。一審判決と原審判決の判決文は裁判所の公式データベース(courts.go.jp)に収録されていないため、原文での確認ができていません。
判例解説によれば、Dは自転車で国道を通行中に、ある会社が保有する大型貨物自動車に追突されて死亡しました。両親が、その会社に対して不法行為に基づく損害賠償を請求した事件です。
収入のない14歳の損害をどう計算するかが、この事件の全部でした。まだ一度も働いていない人に、将来の給料の金額を当てはめなければならないからです。
争点 — 女子の平均給与額で計算するとき、家事労働分を加えられるか
遺族(上告人)の主張は、判決文に次のように要約されています。
女子労働者の平均賃金と男子労働者の平均賃金との間には著しい格差があるので、これを是正するため、女子労働者の平均賃金を基準として算定された収入額に家事労働分を加算すべきである
つまり、統計上の女子の平均は男子より大きく低い。その差を放置すると「女の子だから安い」という計算になってしまう。だから将来行うはずの家事労働の価値を上乗せして埋めるべきだ、という主張です。遺族は憲法違反の主張も含めて上告していました。
争点は一点だけです。女子労働者の平均給与額を基礎収入とすること自体ではなく、そこに家事労働分を加算できるかどうか。 この区別は答案でも重要なので、後ろの章でもう一度触れます。
審級で何が変わったか
金額が実際に動いています。以下の一審・二審の数字は判例解説の記述によるもので、公式データベースには判決文がありません。
| 審級 | 基礎収入 | 家事労働分 | 生活費控除 | 逸失利益 | 両親それぞれの認容額 |
|---|---|---|---|---|---|
| 一審 長野地方裁判所木曽支部 昭和57年3月26日 | 女子労働者・旧中・新高卒の平均給与額 | 年間60万円を加算 | 4割 | 2331万1866円 | 867万9283円 |
| 二審 東京高等裁判所 昭和57年12月20日 | 同じ平均給与額のまま | 加算しない | 35% | 1948万5187円 | 661万5943円 |
| 上告審 最高裁判所第二小法廷 昭和62年1月19日 | 原審の算定を是認 | 加算すべきでない | — | 二審の額を維持 | 上告棄却 |
二審は、Dが満18歳から満67歳まで専業として職に就き、その間に婚姻すると仮定して計算しました。家事労働分の年間60万円を落としたこと(と生活費控除率の違い)で、両親が受け取る額は一審より1人あたり約206万円減っています。金額はすべて昭和57年当時のもので、消費者物価指数(総務省統計局・2020年基準)で見ると当時の1万円は現在の約1.4万円にあたります(目安)。
遺族が上告したのは、この減額に対してでした。
裁判所は何と言ったか(判旨)
最高裁は三段構えで答えています。順に原文を引用し、直後に平易な言い換えを置きます。
① 女子の平均給与額を使うこと自体は不合理ではない
Dのような死亡時に現実収入のない就労前の年少女子の場合には、当該女子の将来の就労の時期、内容、程度及び結婚後の職業継続の有無等将来につき不確定な要因が多いのであるが、原審が……賃金センサス昭和五六年第一巻第一表中の女子労働者、旧中・新高卒、企業規模計(パートタイム労働者を除いたもの)の表による平均給与額を基準として収入額を算定したことは、交通事故により死亡した女子の将来の得べかりし利益の算定として不合理なものとはいえず
つまり、まだ働いていない子どもの将来は分からないことばかりだが、国の賃金統計の女子労働者の平均を当てはめた原審の計算は、不合理とは言えないということです。この部分には先例として最高裁昭和54年6月26日第三小法廷判決(裁判集民事127号129頁)と最高裁昭和56年10月8日第一小法廷判決(裁判集民事134号39頁)が引かれています。
② 家事労働分の加算は「二重評価」になる
Dが専業として職業に就いて受けるべき給与額を基準として将来の得べかりし利益を算定するときには、Dが将来労働によつて取得しうる利益は右の算定によつて評価し尽くされることになると解するのが相当であり、したがつて、これに家事労働分を加算することは、将来労働によつて取得しうる利益を二重に評価計算することに帰するから相当ではない。
つまり、「仕事を本業として一生続ける」という仮定で平均給与を当てはめたのだから、その金額の中に働いて得る利益は全部入っている。そこへさらに家事労働分を足すのは、同じものを二度数えることになる、ということです。「つて」「したがつて」は判決文当時の仮名遣いで、原文のままです。
③ 格差の解消を加害者に負担させることはできない
賃金センサスに示されている男女間の平均賃金の格差は現実の労働市場における実態を反映していると解されるところ、女子の将来の得べかりし利益を算定するに当たつて、予測困難な右格差の解消ないし縮少という事態が確実に生じるものとして現時点において損害賠償額に反映させ、これを不法行為者に負担させることは、損害賠償額の算定方法として必ずしも合理的なものであるとはいえない。
つまり、統計の男女差は労働市場の実態をそのまま映したものである。その差がいつ、どこまで縮むかは予測できない。予測できないことを「確実に起こる」として賠償額に織り込み、事故を起こした側に払わせるのは、計算方法として筋が通らない、ということです。
慰謝料額についての主張も退けられ、結論は「論旨は、違憲の主張を含め、独自の見解に基づいて、原判決の損害賠償額算定の違法をいうものにすぎず、採用することができない。」として上告棄却。「裁判官全員一致の意見」でした。
この判決が決めたこと(意義)
この判決の中心は②です。一審のように家事労働分を加算して女子の平均賃金を補正する下級審の扱いを、最高裁が正面から否定しました。逸失利益は「労働によつて取得しうる利益」であり、専業就労を前提にした平均給与の中にそれは含まれている——この一点で加算を切っています。
もう一つ見落としやすいのは、この判決は「女子の平均を使うこと自体」を争点にしていないことです。判例解説によれば、引かれている昭和54年・昭和56年の2件の先例でも、女子の逸失利益の基礎収入を女子労働者の平均とすること自体は争われていませんでした。本判決も同じです。答案でも報道でも混ざりやすいところなので、何が争われ、何が争われていないかは分けて読む必要があります。判決の結論がどこまで他の事件に及ぶかという見方については判例の「射程」とは何かで整理しています。
③については、判例解説では、男女間の賃金格差の原因は女性の平均勤続年数の短さだけでなく、採用・配置・仕事の配分・育成・人事評価の違いに由来する管理職比率の差にもあると指摘されています(厚生労働省「男女間の賃金格差解消のためのガイドライン」2010年8月)。格差の是正は本来雇用主が担うべきもので、加害者の賠償額で行う理由は乏しい、という整理です。なお、職場における男女の区別そのものを民法90条違反で無効とした判決は別にあります(日産自動車事件)。
その後の流れ — 14年後に東京高裁が変えた計算
判例解説によれば、この判決の14年後、東京高等裁判所平成13年8月20日判決(判例時報1757号38頁)が流れを変えました。年少者の就労の可能性は多様であり、将来の就労可能性の幅に男女差は存在しないに等しい——そう述べて、年少女子の逸失利益を全労働者(男女計)の平均賃金で算定したものです。性別という属性だけが同じ集団の平均を当てはめるのではなく、その子自身に開かれた将来の幅を見る、という考え方です。
判例解説によれば、この扱いはその後多くの下級審に支持され、全労働者の平均賃金を基礎に生活費控除率45%で年少女子の逸失利益を算定する運用が広がりました。男子年少者(男子平均・生活費控除50%)とほぼ同じ水準になります。一方で、最高裁がこの立場を積極的に採ったことは明らかになっていません。平成14年7月9日の2件の決定で東京高裁平成13年判決に対する上告が受理されず、あるいは棄却されたにとどまる、と解説は整理しています。
これらの下級審判決と最高裁決定は、本稿では判例解説の記述によっており、判決文・決定文の原文は確認できていません。年月日と出典は解説の記載どおりに示しています。
つまり、最高裁の判断は昭和62年のまま残り、実務上の計算だけが先に動いたという形です。審級ごとに何が争われるのかという視点は一審・控訴審・上告審で結論が変わるときでも扱っています。
学説はどう整理しているか
以下は学説・判例解説の整理であり、最高裁がどれかの説を採ったことを意味しません。
損害とは何かについては、不法行為がなかったならばあったはずの財産状態と、現在の財産状態との差を損害と見る考え方(差額説と呼ばれます)と、労働能力を失ったという事実そのものを損害と見る考え方(労働能力喪失説)などが並んでいます。差額説を素直に当てはめると、現実の収入がない子どもや家事に専従している人が亡くなった場合、差がゼロになってしまいます。そこで裁判実務は、判例解説の整理では、収入のない人については働く力を失ったという事実をとらえ、統計上の平均賃金を借りて逸失利益を算定してきました。
家事労働分の加算を否定した本判決の論理にも、批判はあります。判例解説では、賃金センサスの女子平均賃金は、労働市場から退いて家事に専従した人の労働分を織り込んでいないという観点からの批判が紹介されています。他方で、格差の補正を家事労働分の加算という形で行うことには無理があるという整理も示されています。
さらに、「就労可能性」に着目する平成13年以降の考え方を徹底するなら、年少男子についても全労働者平均で算定するのが筋ではないか、全労働者平均が許されるのは何歳までかといった問いが残る、と解説は指摘しています。
答案ではどう書くか
民法の損害論として、基礎収入の決め方を問う形で出ます。
- 原則 — 民法709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」損害には財産的損害と精神的損害(710条)があり、逸失利益は財産的損害に含まれる。原則として現実の収入を基礎に算定する
- 本件の特殊性 — 被害者は14歳で現実の収入がない。そこで統計上の平均給与額を基礎収入とするが、賃金センサスの女子労働者の平均は男子より著しく低い
- 問題提起 — 女子労働者の平均給与額を基準としたうえで、男女間の格差を是正するため家事労働分を加算できるか
- 規範 — 逸失利益は将来労働によって取得しうる利益である。専業として職に就く前提で平均給与額を基準とすれば、労働によって得る利益はその算定で評価し尽くされるから、家事労働分の加算は二重評価となり許されない。また男女間の格差の解消は予測困難であり、それを前提に賠償額を増やして加害者に負担させることは算定方法として合理的でない
- あてはめ — 原審は満18歳から満67歳まで専業就労を仮定して女子労働者の平均給与額を基礎収入とした。その算定に労働で得る利益は織り込まれており、家事労働分を加えれば二重評価になる
- 結論 — 家事労働分の加算は認められない。そのうえで、その後の下級審が全労働者平均へ移っている点に一言触れると、論点の現在地まで示せる
書くときの注意は2つです。第一に、女子の平均を使うこと自体は本判決の争点ではないので、そこを論証の山にしないこと。第二に、二重評価の理由は「専業就労を仮定したこと」から出ているので、仮定の内容を先に書いてから結論を出すことです。規範の立て方そのものについては法的な規範はどう立てるのかも参考になります。
なお、この判決が司法試験・予備試験で出題されたかどうかは、法務省が公表している出題趣旨・採点実感で確認できなかったため、本稿では出題実績を書きません。
動画で見る
この事件は「レイの法廷」第28話として動画にしています。
- 長編(解説つき): 【第28話】十四歳の、将来の値段|年少女子の逸失利益と男女差(新しいタブで開く)
- ショート版(2〜3分): 【第28話】十四歳の、将来の値段(新しいタブで開く)
シリーズの全話と各話の論点はレイの法廷にまとめています。
よくある質問
Q. 収入のない子どもに、なぜ将来の収入の賠償が認められるのですか?
損害を「事故がなければあったはずの財産状態との差」と考えると、収入のない子どもの差はゼロになってしまいます。そこで裁判実務は、判例解説の整理では、働く力を失ったという事実をとらえ、賃金センサスという国の賃金統計の平均給与額を借りて算定します。本判決も、この算定方法そのものは不合理とは言えないとしています。
Q. この判決は「女子の逸失利益は低くてよい」と認めたのですか?
判決文はそういう言い方をしていません。述べているのは、統計上の男女差は「現実の労働市場における実態を反映している」ものであり、その格差が将来確実に解消すると見て賠償額に反映させ、加害者に負担させるのは算定方法として合理的でない、ということです。格差を正当化したのではなく、格差の是正を損害賠償額の計算で行うことを退けた、という構造です。
Q. いまの裁判でも、年少女子は女子の平均賃金で計算されるのですか?
判例解説によれば、東京高等裁判所平成13年8月20日判決以降、年少女子の逸失利益を全労働者(男女計)の平均賃金で算定する扱いが下級審に広がりました。ただし最高裁がこの立場を正面から採ったことは明らかになっておらず、昭和62年の本判決も変更されていません。個別の事件でどう算定されるかは事案ごとの判断になります。
Q. 家事労働分の加算は、どんな場合でも認められないのですか?
本判決が否定したのは、就労前の年少女子について、専業就労を前提に女子労働者の平均給与額で算定したうえで、さらに家事労働分を上乗せする形です。判決文はこの場面について「二重に評価計算することに帰するから相当ではない」と述べており、それ以外の場面について一般的に述べたものではありません。別の立場の人(たとえば家事に専従していた人)の逸失利益の算定は、別の判例の問題になります。
本稿は公開されている判決文・条文と判例解説にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士にご相談ください。当事者は判決文の表記(D)に従い、氏名などの特定情報は記載していません。制作: JurisCode.AI
コメント
#レイの法廷#判例#民法#逸失利益
最近更新した記事
公開後に中身を書き直したものです。日付は更新日。