罪刑法定主義をわかりやすく — 四つの派生原則と、判例が引いた線
罪刑法定主義とは、何が犯罪となり、どんな刑罰が科されるのかを、あらかじめ法律で定めておかなければならないという原則で、日本ではこれを憲法が支えています。判例の到達点もはっきりしていて、最高裁判所大法廷は昭和50年9月10日の判決(刑集29巻8号489頁・徳島市公安条例事件)で、刑罰法規があいまいで違憲となるかどうかは「通常の判断能力を有する一般人の理解において」基準が読みとれるかどうかで決める、という物差しを示しました。この記事では、この原則を四つの派生原則に分解し、判例が実際に述べたことと、学説が整理していることを分けて並べます。


罪刑法定主義とは — 定義
罪刑法定主義とは、ある行為を犯罪として処罰するためには、その行為が犯罪であることと、それに科される刑罰の内容が、行為の時点で法律によって定められていなければならない、という原則をいいます。
条文のどこにあるのかを先に押さえます。刑法の条文には「罪刑法定主義」という言葉は出てきません。根拠は憲法にあります。
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 (日本国憲法31条(新しいタブで開く))
何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。 (日本国憲法39条(新しいタブで開く))
条文は「奪はれ」「適法であつた」「問はれない」という表記のままです。つまり、刑罰を科すには法律の定めが要る(31条)。そして、行為の時に適法だったことを後から罰することはできない(39条)。この2か条が、原則の骨格です。
なお「法律がなければ犯罪はなく、法律がなければ刑罰はない」という標語は、19世紀ドイツの学者フォイエルバッハの手で広まったものとして紹介されるのが一般的です。標語そのものは条文ではありません。条文は上の2つです。
なぜ争いになるのか
原則の言葉そのものに反対する人は、まずいません。争いが起きるのは、現実の事件が、条文を書いた人の想像を追い越したときだけです。
条文は言葉で書かれています。言葉には輪郭のぼやけた部分が必ず残ります。そこへ、条文を書いた当時は存在しなかった物や行為が現れる。すると2つの力がぶつかります。
- 処罰したい力 — 被害が現に出ている。放置すれば同じことが繰り返される
- 処罰できない力 — その行為は、条文の言葉に素直には収まらない
この衝突の場面で、裁判所が言葉を伸ばして処罰に届かせるのか、それとも「条文にないから罰せない」と言い切って立法に投げ返すのか。罪刑法定主義が実際に試されるのは、この一点です。
四つの派生原則

罪刑法定主義は、教科書では次の四つに分けて整理されます(内容の適正を加える整理もあります)。それぞれ「誰に向けた要求か」が違うことが、押さえどころです。
| 派生原則 | 内容 | 誰に向けた要求か | 条文・判例上のあらわれ |
|---|---|---|---|
| 法律主義 | 犯罪と刑罰は、国民の代表が作る法律で定める。慣習をそのまま処罰の根拠にできない | 立法者 | 憲法31条 |
| 遡及処罰の禁止 | 行為の時に適法だった行為を、後からできた法律で罰しない | 立法者 | 憲法39条前段。刑法6条は「犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる」と定める |
| 明確性の原則 | 何が禁じられているかを、条文から読み取れるように書く | 立法者 | 徳島市公安条例事件(最高裁大法廷 昭和50年9月10日判決)が基準を示した |
| 類推解釈の禁止 | 条文の言葉にない行為を、「似ているから」という理由で処罰の対象にしない | 裁判官 | 電気窃盗事件・ガソリンカー事件をめぐる議論 |
前の3つは主に法律を作る側への要求で、最後の1つだけが法律を使う側(裁判官)への要求です。答案でも実務でも、まずこの区別で「本件はどれの問題か」を1つに絞るところから始まります。
判例が積み上げたルール
この記事で扱う判例の書誌をまとめます。裁判所ウェブサイトの判例検索で確認できたものは、事件番号と判例集の巻号頁まで記載しました。
| 裁判所・年月日 | 事件 | 示されたこと |
|---|---|---|
| 大審院 明治36年5月21日 判決(刑録9輯874頁・通称 電気窃盗事件) | 電線から電気を引き込んで使用した事件 | 電気は管理することができるから窃盗罪にいう財物にあたるとして、窃盗の成立を認めた(要旨) |
| 大審院 昭和15年8月22日 判決(刑集19巻540頁・通称 ガソリンカー事件) | ガソリンを燃料とする鉄道車両が脱線転覆し、乗客が死亡した事件 | 刑法129条の「汽車」にガソリンカーが含まれるとした(要旨) |
| 最高裁判所大法廷 昭和50年9月10日 判決(昭和48年(あ)第910号・刑集29巻8号489頁・通称 徳島市公安条例事件) | 集団示威行進で「交通秩序を維持すること」を定めた条例に違反したとされた事件 | 刑罰法規が明確性を欠いて憲法31条に違反するかどうかの基準を示し、破棄自判した |
| 最高裁判所第一小法廷 平成26年7月24日 判決(平成25年(あ)第689号・刑集68巻6号925頁) | 裁判員裁判が検察官の求刑を大幅に超える刑を言い渡した傷害致死事件 | 裁判員裁判にも他の裁判との公平性が求められることを示し、破棄自判した |
大審院の2件については、裁判所ウェブサイトの判例検索で全文を確認できませんでした。上の欄はいずれも判決の要旨の紹介であり、判決文からの引用ではありません。以下でこの2件に触れる部分も同じ扱いです。
「あいまいすぎる条文」はどこから違憲になるのか

明確性の原則について、最高裁が正面から物差しを立てたのが徳島市公安条例事件です。争われたのは、徳島市の条例3条3号が集団行進の参加者に守らせていた「交通秩序を維持すること」という文言でした。
この事件は、下級審と最高裁で結論が逆になっています。そこが読みどころです。
第一審は、この規定について被告人を無罪としました。判決文は第一審の判断を「本条例三条三号の規定は、一般的、抽象的、多義的であつて、これに合理的な限定解釈を加えることは困難であり」、犯罪構成要件の内容として「合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を備えているといえず、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条の趣旨に反する」というものだった、と要約しています。控訴審も検察官の控訴を棄却しました。
これに対して最高裁は、まずなぜあいまいな刑罰法規が違憲になるのかという理由から書き起こしました。
およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる。
つまり、あいまいな条文が悪いのは、①国民に「ここから先は罪だ」と前もって知らせる働きをしないからであり、②取り締まる側の胸ひとつで運用が動いてしまうからです。この2つが、明確性の原則の趣旨そのものです。
そのうえで最高裁は、法規の文言には表現力の限界があり、刑罰法規も多かれ少なかれ抽象性を免れないとして、絶対的な基準までは要求できないと述べ、次の物差しを立てました。
それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。
平たく言えば、ふつうの判断力を持ったふつうの人が条文を読んで、「自分が今しようとしていることは、これに当たるのか」を判断できる手がかりが読み取れるか。それが分かれ目だ、ということです。学者にしか分からない基準では足りず、逆に一分の隙もない定義までは要らない、という位置に線が引かれています。
結論はどうなったか。最高裁は「交通秩序を維持すること」を、集団行進に不可避的に随伴する程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避けよという意味だと解し、だ行進やうず巻行進、すわり込みなどがこれに当たると通常人にも容易に想到できるとしました。そして「確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ」基準は読み取れるとして、明確性を欠くとはいえないと判断しています。原判決と第一審判決は破棄され、被告人は罰金1万円に処されました。
注意したいのは、最高裁がこの条例の書きぶりを褒めているわけではないことです。判決文は、義務内容を具体的に列挙例示して明確化することが十分可能だったのにそれをしていないのは「立法措置として著しく妥当を欠く」とも述べています。立法として下手であることと、違憲であることは別だという切り分けが、この判決の構造です。
拡張解釈と類推解釈は、どこで分かれるのか
四つ目の派生原則、類推解釈の禁止は、裁判官に向けられた要求です。ここで必ず引き合いに出されるのが、先の表に挙げた大審院の2件です(以下はいずれも判決の要旨にもとづく紹介です)。
電気は「物」か。明治36年の電気窃盗事件で、大審院は電気が管理可能であることを理由に財物にあたるとし、窃盗の成立を認めました。この事件で見逃せないのは、その後の立法の動きです。現在の刑法には次の条文があります。
この章の罪については、電気は、財物とみなす。 (刑法245条(新しいタブで開く))
解釈で押し切るのではなく、わざわざ条文に書き足したという事実が残っています。
ガソリンカーは「汽車」か。昭和15年の事件では、ガソリンを燃料とする鉄道車両の脱線転覆で乗客が亡くなりました。現在の刑法129条(過失往来危険)が挙げているのも「汽車、電車若しくは艦船」です。大審院はガソリンカーを「汽車」に含めましたが、蒸気機関を持たない車両まで「汽車」の語に読み込むのは類推ではないか、という批判が教科書で紹介され続けています。
この2件の対比から見えるのは、拡張解釈と類推解釈の境目が、その語の可能な意味の範囲に収まっているかどうかに求められるという整理です。もっとも、「可能な意味の範囲」がどこまでかは、結局その言葉をどう読むかの問題に戻ってきます。境界線そのものが争いの種であることは、率直に押さえておいたほうがよい点です。
そして境界の外に出たときの正しい対処は、判決文をふくらませることではなく、新しい条文を作ることです。245条は、まさにそれをやった記録として残っています。
罰する理由の見取り図 — ここからは学説の整理
罪刑法定主義は「どうやって罰するか」の手続の原則です。その手前には「そもそもなぜ罰してよいのか」という問いがあり、こちらは判例が決着をつけている問題ではありません。以下は学説の整理であり、判例がどれかの説を採ったことを意味しません。
- 応報刑論 — 刑罰は犯した罪への正当な報いであり、それ自体に意味がある、とする考え方。18世紀の哲学者カントが代表として紹介されます
- 目的刑論(予防) — 刑罰の意味は未来の犯罪を減らすことにある、とする考え方。予告によって社会全体を思いとどまらせる一般予防と、本人の立ち直りを図る特別予防に分かれます
- 相対的応報刑論 — 罪の重さが刑の上限の枠を決め、その枠の中で予防の目的を追う、という組み合わせ。現在は、この形の整理が多数を占めるとされます
なぜ組み合わせるのかは、それぞれの弱点を見ると分かります。予防だけを突き詰めると、見せしめとして軽い罪に極端に重い刑を科すことまで正当化されかねません。逆に応報だけでは、「報いの重さ」が時代の空気で膨らむのを止める仕切りがありません。上限を応報が押さえ、中身を予防が満たす、という役割分担が、この整理の要点です。
罪刑法定主義とのつながりも一本の線で説明できます。あらかじめ予告するからこそ予防が働き、予告した範囲でしか罰しないからこそ自由が守られる。手続の原則と、罰する理由の議論は、ここで噛み合います。
誰が裁くかの側の問題 — 裁判員裁判と量刑の公平性
「法律で予告する」の次に来るのが、「その法律を誰がどう当てはめるか」です。平成21年5月から始まった裁判員制度では、重大事件について市民が量刑まで決めます。市民の処罰感情と、これまでの裁判が積み上げてきた量刑の相場が正面からぶつかった事件が、平成26年7月24日の最高裁判決です。
事案は、当時1歳8か月だった三女に対する傷害致死でした。第一審の裁判員裁判は、検察官の各懲役10年の求刑に対し、被告人両名に各懲役15年を言い渡します。控訴審はこれを維持しました。最高裁は、これを破棄しました。
しかし,裁判員裁判といえども,他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならないことはいうまでもなく,評議に当たっては,これまでのおおまかな量刑の傾向を裁判体の共通認識とした上で,これを出発点として当該事案にふさわしい評議を深めていくことが求められているというべきである。
つまり、同じような事件には同じような重さの刑を、という公平の要請は、裁判員裁判にも等しく及ぶということです。判決文は同時に、裁判員裁判導入前の量刑傾向を厳密に調査・分析することまでは求めていないし、それに従うことを求めているわけでもない、とも述べています。相場に縛りつける趣旨ではありません。
では、相場から踏み出したいときはどうするか。判決はその条件も書いています。
しかし,そうした量刑判断が公平性の観点からも是認できるものであるためには,従来の量刑の傾向を前提とすべきではない事情の存在について,裁判体の判断が具体的,説得的に判示されるべきである。
踏み出すこと自体は否定されていません。求められているのは、なぜ踏み出すのかを具体的・説得的に書くことです。最高裁は破棄自判し、被告人Aを懲役10年、被告人Bを懲役8年としました。
罪刑法定主義が国家に「予告してから罰せよ」と求めるのと、この判決が裁判体に「踏み出すなら理由を示せ」と求めるのは、同じ形をしています。どちらも、処罰の理由を外から検証できる状態に置けという要求です。
答案の型
罪刑法定主義は、そのまま論じると標語の言い換えで終わってしまいます。四つのうちどれの問題かを特定するところから書き始めるのが安全です。
- 原則 — 犯罪と刑罰は事前に法律で定めなければならない(憲法31条・39条)。趣旨は、国民への事前の告知と、国家による恣意的な処罰の防止の2つ
- 本件の特殊性 — 四つの派生原則のどれが問題なのかを1つに絞る。条文の書き方があいまいなのか(明確性)、条文の言葉が届かない行為に及ぼそうとしているのか(類推解釈の禁止)、行為後の法律を使おうとしているのか(遡及処罰の禁止)
- 問題提起 — 「本件で……を処罰することは、明確性の原則(類推解釈の禁止)に反しないか」の形で1つだけ立てる
- 規範 — 明確性なら、徳島市公安条例事件の基準をそのまま立てる。あわせて趣旨(告知機能・恣意的運用の防止)と、対立する事情(法規の文言には表現力の限界があり、抽象性を免れない)の両方に触れる
- あてはめ — 条文の文言、通常の判断能力を有する一般人がどう読むか、限定解釈が可能か、運用の実態。事実を規範の言葉に結びつける
- 結論 — 派生原則に反するか否かを述べ、反しないなら次の要件の検討へ進む
規範を立てる段階で、趣旨と対立利益の両方を書けているかが分かれ目になります。徳島市公安条例事件の判決文が、違憲となる理由(告知機能・恣意的運用)を述べたうえで、法規には抽象性が避けられないという反対側の事情も述べてから基準に至っているのは、この型の見本です。犯罪の成立をどの順で論じるかの全体像は、刑法の答案は「誰の・どの行為に・何罪か」から始まるで扱っています。
関連する判例
- 間接正犯をわかりやすく — 12歳の少女に盗ませた養父は「自ら盗んだ」のか — 刑法41条が「十四歳に満たない者の行為は、罰しない」と線を引いた結果、命じた側の罪をどう構成するかが問題になった事件です。法律主義が現実の事件に効いてくる場面として読めます
- シャクティパット事件をわかりやすく — 「何もしなかった」が殺人になるとき — 条文が「殺した」という動きの形で書かれているのに、何もしないことで実現できるのかが問われた事件です
- 作為義務の発生根拠 — 学説の見取り図と、判例が実際に挙げた事実 — 条文に書かれていない限定を解釈で作らざるを得ない論点を、判例と学説を分けて整理しています
- 薬事法違憲判決をわかりやすく — 「安全のため」を最高裁が事実で検査した日 — 憲法違反を理由に法律の規定が効力を失う場面を扱っています
動画で見る
この記事のもとになった回は「レイの法廷」第16話です。応報か予防か、電気は物か、ガソリンカーは汽車か、あいまいな条文はどこから違憲か、そして裁判をAIに任せられるかまでを、討論の形で扱っています。
- 講義版(約20分): 【第16話】明日の法律が昨日を裁く日|刑法の意義と罪刑法定主義(新しいタブで開く)
- ショート版(約2分): 明日の法律が昨日を裁く日(新しいタブで開く)
各話の一覧と、これまでに扱った判例はレイの法廷にまとめています。
よくある質問
Q. 罪刑法定主義は、刑法の何条に書いてあるのですか?
刑法の条文に「罪刑法定主義」という言葉はありません。根拠は憲法にあり、刑罰には法律の定めが必要だとする31条と、行為時に適法だった行為を後から罰することを禁じる39条前段がこれにあたります。刑法6条の「犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる」も、遡及処罰の禁止と同じ方向の定めです。
Q. 明確性の原則に反するかどうかは、誰の理解を基準に判断するのですか?
「通常の判断能力を有する一般人の理解において」判断すると、最高裁大法廷の昭和50年9月10日判決が述べています。専門家だけが読み解ける条文では足りず、逆に一切の疑義を許さない精密さまでは求められない、という位置に基準が置かれています。
Q. 拡張解釈は許されて、類推解釈は禁止されるのはなぜですか?
拡張解釈は、条文の言葉が持ちうる意味の範囲内で広めに読む作業であるのに対し、類推解釈は、その範囲の外にある行為を「似ているから」という理由で取り込む作業だ、と整理されるためです。後者を許すと、条文が国民への事前の予告として働かなくなります。ただし「意味の範囲」がどこまでかの判断自体に争いが残る点は、この整理の弱いところです。
Q. 徳島市公安条例事件は、結局のところ合憲だったのですか?
条例3条3号の「交通秩序を維持すること」について、最高裁は明確性を欠き憲法31条に違反するとはいえないと判断し、無罪とした第一審判決とこれを維持した控訴審判決を破棄して、被告人を罰金1万円に処しました。ただし判決は、義務内容を列挙例示して明確化することが可能だったのにしていない点を「立法措置として著しく妥当を欠く」とも述べています。
Q. 裁判員裁判が過去の量刑の相場より重い刑を言い渡すことは、できないのですか?
できないとはされていません。最高裁平成26年7月24日判決は、裁判員裁判導入前の量刑傾向に従うことまで求められているわけではないと述べたうえで、従来の傾向を前提とすべきでない事情について「裁判体の判断が具体的,説得的に判示されるべきである」としています。踏み出すこと自体ではなく、理由を示さずに踏み出すことが問題とされました。
本記事は判決文と条文にもとづく一般的な解説であり、個別の事案についての法的助言ではありません。具体的な問題については弁護士にご相談ください。事件の当事者は判決文の表記にならい、仮名または記号で記載しています。制作: JurisCode.AI
コメント
#レイの法廷#判例#刑法#罪刑法定主義