本文へスキップ
判例読了 約9分

退職した社員が同業を始めた ― 「辞めても競合しない」約束はどこまで有効か

長年勤めた社員が退職し、同業で独立して、前の会社の取引先から注文を受けるようになった ― これは法律上、許されるのでしょうか。結論から言うと、「辞めても同業をしない」という約束(競業避止特約)を会社と結んでいたかどうかで、話はまったく違ってきます。特約が無ければ、元社員が前職で築いた人脈を使って同業を始めること自体は、原則として自由です。他方、特約を結んでいた場合でも、その制限が無制限に有効なわけではありません。この記事では、民法90条・憲法22条の条文と、特約が無いまま同業を始めた元社員の行為が適法とされた最高裁判所の判決から、競業避止の約束がどこまで有効なのかを整理します。

辞めても競業はできる? — 特約の有無で結論が大きく変わります。

結論 ― まず見るのは「特約」の有無

なぜそうなるのか ― 契約自由と職業選択の自由のせめぎ合い

民法には、契約は当事者が自由に内容を決めてよいという原則(契約自由の原則)があります。会社と社員が「退職後◯年間は同業をしない」という特約を結ぶこと自体は、この原則の範囲内にあります。

しかし、民法90条は次のように定めています。

公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。(民法90条)

(e-Gov法令検索 民法(新しいタブで開く))

退職後の競業避止の特約が、社員の再就職や独立をほぼ不可能にするほど厳しいものであれば、それは社員の生活の糧を奪うことになりかねません。日本国憲法は、次のように職業選択の自由を保障しています。

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。(憲法22条1項)

(e-Gov法令検索 日本国憲法(新しいタブで開く))

憲法の条文は国と個人の関係を直接規律するもので、会社と社員の間の契約に直接適用されるわけではありません。しかし、職業選択の自由という憲法が掲げる価値は、民法90条の「公の秩序」を判断する際の物差しとして働きます。つまり、競業避止の特約が行き過ぎていないかどうかは、会社が守りたい利益と、社員が仕事を選ぶ自由とを、天秤にかけて判断されることになります。

退職後の競業避止義務について、厚生労働省はこう位置づけている

厚生労働省労働基準局が令和6年4月17日、規制改革推進会議のワーキング・グループに提出した資料は、退職後の競業避止義務について、次のように整理しています。

退職後については、企業の正当な利益があるとしても、労働者に職業選択の自由があるため、競業避止義務は限定的に解されている。
競業避止義務を課すことが有効であるかは、個々の事案毎に最終的に司法において判断されるものである。

(厚生労働省労働基準局「競業避止義務の明確化について」令和6年4月17日 規制改革推進会議 働き方・人への投資ワーキング・グループ(第5回)資料(新しいタブで開く))

在職中は、労働契約に付随する義務として、特約が無くても一定の競業避止義務が認められると解されています。これに対して退職後は、労働契約そのものが終了しているため、特約や就業規則の定めなど、何らかの契約上の根拠が無ければ、一律に競業を禁止することはできません。この点が、在職中と退職後の決定的な違いです。

実際にこう判断された裁判がある

特約が無いまま同業を始めた元社員の行為が問題になった事件があります。従業員10人程度で産業用ロボットや金属工作機械部分品の製造等を手がける会社を、営業を担当していたAさんと、現場作業を担当していたBさんの2人が退職しました。会社とAさん・Bさんの間に、退職後の競業避止義務に関する特約は結ばれていませんでした。2人は退職前から同業での独立を計画し、休眠会社を事業の受け皿として使い、Aさんが担当していた取引先のうち複数社から、退職後に継続して仕事を受注するようになりました。新会社の売上の8〜9割がこれらの取引先からのもので、もとの会社の、その取引先からの売上は大きく減少しました。もとの会社は、この競業行為を知らされないまま、半年以上経ってから気づいています。

項目内容
裁判所最高裁判所第一小法廷
判断平成22年3月25日 判決(破棄自判)
事件番号平成21年(受)第1168号
判例集民集64巻2号562頁

一審・二審(名古屋高等裁判所)は、元社員らが人脈を利用して顧客を奪い、もとの会社に大きな損害を与えたことは「社会通念上自由競争の範囲を逸脱した」違法な行為だとして、損害賠償請求の一部を認めました。これに対して最高裁判所第一小法廷は、平成22年3月25日の判決で、次のように判断しています。

以上の諸事情を総合すれば、本件競業行為は、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできず、被上告人に対する不法行為に当たらないというべきである。なお、前記事実関係等の下では、上告人らに信義則上の競業避止義務違反があるともいえない。

(裁判所ウェブサイト 判例検索 損害賠償請求事件・最高裁判所第一小法廷 平成22年3月25日判決(新しいタブで開く))

最高裁が重視したのは、次のような事情です。元社員らは、営業秘密を使ったり、もとの会社の信用を傷つけたりするような不当な方法は取っていなかったこと。取引先のうち複数社との取引は退職から約5か月後に始まったものであり、退職直後から取引のあった1社についても、もとの会社の側がその取引先への営業に消極的だったという事情があったこと。そして、退職者は、競業行為をすることをもとの勤務先に知らせる義務を当然に負うわけではないこと。これらを総合すると、前職で築いた人的関係を使って独立後に仕事を受注したというだけでは、自由競争の範囲を超えた違法なものとは言えない、と判断されました。

なお最高裁は、二審が立てた「自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で顧客を奪った場合は不法行為に当たる」という判断の枠組み自体は否定していません。否定したのは、この事件の事実関係が、その枠組みに当てはまるかどうかという当てはめの部分です。

自分の場合はどうなるのか

以下は、条文と前記判決、厚生労働省の見解から読み取れる傾向の整理です。個別の事案でどうなるかを判断するものではありません。

場面競業行為が問題になりやすいか
退職後の競業避止に関する特約が無く、前職の人脈を使って営業しただけ低い(前記最高裁判決のように、原則として自由競争の範囲内)
特約は無いが、在職中に持ち出した営業秘密や機密情報を使っている高い(特約が無くても、不当な方法を使えば違法になりうる)
特約があり、その期間・範囲が、会社の正当な利益を守るのに必要な限度にとどまっている特約が有効と判断されやすい
特約があるが、期間や地域の制限が無く、生活の糧を事実上奪うほど厳しい民法90条により無効と判断される可能性がある

受験生向けの一言

この論点を答案で書くときは、まず「特約の有無」で場合分けすることが出発点になります。特約が無い場合は、契約上の根拠ではなく、不法行為(民法709条)の枠組みで、競業行為が「社会通念上自由競争の範囲を逸脱」しているかを検討します。特約がある場合は、契約自由の原則から出発しつつ、その内容が民法90条の公序良俗に反しないかを、会社が守るべき正当な利益と、労働者の職業選択の自由(憲法22条の趣旨)とを対立利益として比較衡量する、という型で書くと、論証の筋が伝わりやすくなります。固定残業代の論点で見た「固定残業代込み」の給料なら、残業代はもう出ないのかと同じように、ここでも契約の文言だけでなく、当事者の実質的な利益状況から判断する、という構造が共通しています。

よくある質問

Q. 退職後に同業を始めること自体が、違法になることはありますか?

特約が無ければ、前職で培った知識や人脈を使って同業で独立すること自体は、原則として違法ではありません。ただし、在職中に持ち出した営業秘密を使ったり、もとの会社の信用を傷つけたりするなど、不当な方法を取った場合は、不法行為として損害賠償の対象になることがあります。

Q. 「退職後は同業をしない」という誓約書にサインしてしまいました。これは絶対に守らなければなりませんか?

誓約書を結んでいても、その制限の期間・範囲が、会社の正当な利益を守るために必要な限度を超えて厳しいものであれば、民法90条により無効と判断される可能性があります。有効かどうかは個々の事情によるため、心当たりがある場合は弁護士等の専門家にご相談ください。

Q. 退職する社員が、前職の取引先に独立の挨拶をすることも問題になりますか?

今回取り上げた最高裁判決でも、退職のあいさつの際に独立後の受注希望を伝えたこと自体は、不当な方法とは評価されませんでした。ただし、在職中から取引先に対して積極的な引き抜き工作を行うなど、会社に対する信義則上の義務に反するような行為は、別途問題になりえます。

Q. 会社側は、退職者の競業を防ぐために何をしておくべきですか?

退職後の競業避止義務は、在職中とは異なり、契約上の根拠(特約や就業規則の定め)が無ければ一律に禁止することはできません。将来的に競業を制限したい場合は、あらかじめ合理的な範囲の特約を結んでおくことが前提になります。

まとめ

  • 退職後に同業を始めることは、競業避止の特約が無ければ、原則として自由競争の範囲内であり、不正な方法を使わない限り違法にはならない(最高裁平成22年3月25日判決)
  • 競業避止の特約がある場合でも、民法90条(公序良俗)により、会社の正当な利益と労働者の職業選択の自由(憲法22条)とのバランスの中で、合理的な範囲に限って有効となる
  • 有効性は個々の事案ごとに司法が判断するものであり、一律の基準は無い(厚生労働省の見解)

本記事は、e-Gov法令検索で確認した条文、裁判所ウェブサイトの判例検索に収録された判決、厚生労働省の公表資料にもとづく一般的な情報であり、法的助言ではありません。個別の事案については弁護士等の専門家にご相談ください。

民法の判例を、アニメで観る

判例アニメ「レイの法廷」では、民法の回を全18話公開しています。権利の濫用・取得時効と登記・親の監督責任・損害賠償の額など、暮らしと取引の基本になる判例を扱います。

コメント

コメントは即時公開されます。不適切な内容は予告なく削除します。

#レイの法廷#コラム#民法#労働法#競業避止義務

最近更新した記事

公開後に中身を書き直したものです。日付は更新日。